【長老は神?】

❤ 教えを 当て嵌めて 許す

キリスト教であれ、仏教であれ、どんな良い教えを説く宗教であっても、人の集まりなので、揉め事は必ず起こる。嫌な人、合わない人は どこにでもいる、好きな人とだけ仲良くしたいなら宗教要らない…。自分に取って嫌な人でも それは 自分の基準だし…。許し合って仲良くする、それに役立つのが宗教の教えでしょう。

教えを当て嵌めて許す、それには 愛を培うことです。と、何度も 学びます。

『あなた方の間に愛があれば、それによって 人々は

   あなた方がわたし(キリスト)の弟子で有ることを知る  』

『愛は結合の絆  』

聖書 愛 と ネットで検索したら、一杯出てきます。愛で相手にされた嫌な事 傷つけられた事を 覆いなさい。忘れなさい。と 何度も 何度も 演壇から 長老が語ります。

語るなら 実践もしなくちゃ…先ず、年長者である長老から…。してるよね。多分。

と 思って 何となく エホバの証人を続けています。そんな クリスチャンがほとんどです。

A 姉妹が ある長老に助言されたことを疑問に思い、巡回監督に手紙を書きました。

巡回監督が 会衆内での問題を扱う方法として、手順が決まっています。

 ①長老に A姉妹と 話し合いなさい。

 ②次回 (半年先の訪問) 来た時に 長老に どうなりましたか。と 報告を求める。

 この結果 次回の 訪問で 長老は 巡回監督に “話し合って解決した”と 述べて問題は終わるのです。

ただ、長老が姉妹と話し合う その方法が 曲者で、大抵 集会の後 王国会館に残されて、まず 問い詰められます。長老は 二人いないと 女性信者と密室で話してはいけないので、相手は 男性二人、充分呼び出しされてるだけで 嫌なのですが、女性信者にしたら 半年に一回 本部から 派遣される巡回監督は、会衆の不備を改善しようと 来てくれた“スーパーマン”です。

“その人が何でも私に話してくださいと言ってくれた、(これは 演壇から必ず言います。常套文句です。)だから、相談した、えっ 巡回監督と一緒に話を聞いてくれて、それは …って 私の気持ち組んで 長老に注意してくれないの。”

 

巡回監督に 話しても 問題視されるだけで、問題は 片づきません。

 

こう 教えられているからです。

長老の任命は 神の聖霊によって 行われた。そして、神は 全ての事を見ておられる。長老の間違いも 正すのが必要なら 神が正される。

問題は、長老の行動に不満を抱く姉妹の方である。全ての事は 神に委ねなさい。

 

すごろくの あがりのように 一度長老になると、先ず おろされることは無いので、ただ 権力が増していくだけです。自分は 神の聖霊を受けて 行動している。

会衆は 自分に従えと…。 長老の姉妹も 夫の権威のもと 会衆の姉妹たちの上に君臨し始めます。

 愛って どこにいったんでしょうね。