【カーテンを分厚くした…】

【カーテンを厚めの生地にして 昼間でも居てるのが分からないようにしています】

テレビをあまり見ないので、ネットでニュースを検索していると、日本人の幸福度が低いのは人目を気にするからでは?というような記事を見つけました。車に一人で乗っている時でもマスクをしている人が多いから、自動車の中でも 外からの目を気にしている…というような内容でした。

いや、車に乗っていてもマスクは付けてるけど、それは 日本は国土が狭くて 特に今は買い物行くにも 5,6分ですぐついてしまうスーパーくらいしか 行くところもなくて、だから、外からの視線を気にしてというより、すぐ目的地に着くので 降りた時に忘れてないようにマスクを付けておく…。我が家はそうです。

でも、こんなに家が密集していると、隣が掃除機をかけているのも、お風呂に入っているのも、洗濯しているのも もう 丸わかりなので、人目を気にしてじゃないけれど、気遣いはします。お隣同士、ちょっと 気遣いしあえると住みやすいですよね。

家は 以前は 団地に住んでいて そこは もう 上下左右 全て良い方で隣近所に恵まれていたのですが…。引っ越して 今の戸建ては うん、まあ、左隣の方とは親しくしています。

 だから カーテンを 厚めの生地にしたのは、隣近所の目を 気にしてではありません。

以前 所属していた エホバの証人という 宗教団体の方が 時に 手紙を入れにくるからです。お菓子が付いてることもあります。もう、嫌で嫌でたまらないんですが、手紙を書いていれるのは、多分表現の自由だと思うので、止めようもなく…。

その内、コロナが明ければ、家から家を訪問する 聖書の普及活動ー奉仕ーが 再開されるでしょう。そしたら、奉仕のついでに 家に訪ねてこられると思うと 本当に 煩わしい。せめて、居留守を使おうと、それで、カーテンを厚めの生地にしました(笑)

仕事にも行ってるんですけど、今 暇で…。パート先はお菓子の会社なんですが、注文が無いらしく。一日 家にいて 夕方 主人が帰って来た時、「これ 玄関にかかってた。」 と お菓子と手紙の入った袋を渡されると…。いつ 来たの? 私、ずっといたけど。 気づかなかったなあ。 わあ、玄関から 二階見上げて カーテン閉まってるな、いてるかなって 考えたのかな…。とか 想像すると ゾっとします。

ストーカー被害に合われている方の 気持ち、500分の1くらい わかる気がします。ごめんなさい。 

 ところで、ストーカーは どうか知らないけど、留守かどうかを見極める方法として

 エホバの証人は、電気のメーターを見ます。

私は 奉仕に行っていて その 電気メーターをチェックして 留守かどうかを探る仲間のクリスチャンの姿を見るのが嫌でした。

「メーターを見て、動いてるでしょ、居留守かな。」「洗濯物を見たら、子どもの年齢が分かるからそれで 最初の紹介の言葉を変えるのよ。」

 失礼ですよね。犬のためにクラーつけたままお仕事の方もいらっしゃるし、家事で インターホンに気づかないことも多々あります。

 でも これを、エホバの証人は 集会で教えられています。聖書の集会で 教えられるんですよ。そして それを 家を訪ねて 使ったクリスチャンは コメントという形で発表してと自慢気にしているんです。

 そんな 胡散臭いセールスのような 手練手管の 方法 いいんですかね。

聖書の奉仕活動には 神様から任命されたイエスと イエスと共に神に仕える天使の力添えがあって、人間の業では無いと教えています。神聖な 神の業なんです。

 根拠となる 聖句です。

  『天使は、地上に住む人々、あらゆる国や民族や言語や種族の人々に伝える、

   永遠の良い知らせを携えていた。 啓示14:6』

  『王国のこの良いたよりは、あらゆる国民に対する証のために、人の住む全地で

   宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです。マタイ24:14』

王国の良いたよりを宣べ伝えるー聖書教育活動ー

聖書教育活動が、神様の命令で行われているプロジェクトで、イエスと天使たちがその

業を支援しているなら、そんな人の家を覗くような 失礼な奉仕の仕方を 指導する必要は無いのでは❔と、思っていました…。

したくないこともしたくないと言えないので、自分が よその家を覗き見るようなことはしないようにするしかなかったのです。

皆 本当に 納得して あの奉仕 してたのかな?

 

我が家は オール電化なので、夏のクーラーだけでなく 冬の暖房も 電気を使います。犬も猫もいない…。電気のメーターは家の正面…。カーテンを 厚地にしても 意味なかったな。

 

 

 

【エホバの証人ー本当に地上が楽園になって 人間が永遠に生きるのを信じています。。。】

【地上が 楽園になる?】

エホバの証人が 厳しい戒律(守っている当人たちは 厳しいとは思っていないけれど。)を 喜んで守るのも、

 家から家に 訪問して 「聖書を学びませんか?」と 訪ねるのも、(今はコロナでしていないけれど。) この 地球上で 永遠に生きることが できる 希望があるからです。そんなん、何にも見返り無くて するはずないやん。

家から家を訪問するなんて 怖がられて、嫌がられて、信者のお母さんに渋々連れてこられているメンタル弱い子どもは、翌日学校で 何してるんと 言われるのが 嫌で登校拒否になったりします。うちの家は 夫もクリスチャンなので、家族で出かけていると 車ですし 後で お出かけもしますし、多分子どもも それほど嫌な時間ではなかったと思います。家族の信仰ですから、後日学校で何か尋ねられても、「あっ、うちクリスチャンやねん。聖書っていい本やから勧めに行ってた。皆 家の宗教あるやろ?何なん?」と 答えるそうです。恥ずかしがって隠すと そこから いじめに発展する可能性があるので、子どもを連れ歩くお母さん信者さんは 気を付けてあげて欲しいです。宗教談義は 嫌がらない子どもも 多くて、うちの子曰く、天理教の子どもはしっかり語るらしいです。もちろん、性格もありまけど。

 子どもには 信仰は無理強いしない これは、我が家の夫と私が全く一致していた教育方針なので、他のブログで読むような辛い経験はうちの子はなかったと思います。

でも いじめられたらイヤなので、とりあえず勉強はできるように気を使って 塾は行かせました。習い事もしました。(エホバの証人の二世ってホント かわいそうです。習い事させてもらえなかったり、塾も行かせてもらえなかったり、友達と遊ぶのも制限されたり…。こどもネタは長くなるので また 次回に。)

 

しかし、私自身の奉仕活動について言うなら、心を込めていたと思います。それは、

集会で 『永遠の命』『永遠の命』 と “命”が掛かっていることを 強調されるので、私が頑張れば 私の周りの人も 助かるかもしれない と、必死になるんです。

 

 自分が頑張ったから 人が信仰を持つ訳では無いのですが、その頑張りを神様が評価してくださって きっと しかるべき時に 報いがあると教えられるからです。

 聖書の考え方として、

エスの弟子として 引き寄せられたあなた方は、あなた方から来たのではなくて、

神様があなた方の心の状態を見て、引き寄せて下さった。と 教えるんです。

根拠として 使われる聖句は これです。

 『ーイエスー を遣わした父 ー神様 が、引き寄せて下さらない限り、誰も私の   元に来ることはできません。ヨハネ6:44 』

 物質の必要物に満たされても、幸福な生活があっても、何か満たされない思い、それが 霊的な飢え であり 真理を求めていたあなたを エホバ神が引き寄せた。 

そして、あなたも聖書の教えを聞いたのは、あなたの元に聖書の教えを携えていった エホバの証人からなのだから、真理を聞いて救われるのが自分一人でいいと、真理を知ったことに満足してはいけない。今 地球は もうまもなく 神が大きな戦争-ハルマゲドンーを起こして、エホバの証人としてバプテスマを受けた信者しか 助からない、

その日を目前に控えている。今こそ、エホバの証人として 真理ー救いの音信を 伝えるべきだ。と …。

 

神様が 引き寄せてくだっさたのだけれど、伝えたのは人だ。真理を人から人に伝えるのには 人が要るのだ。そして、あなたが頑張れば、あなたの大切な人を、きっと 神様がいい時に引き寄せて下さる。

そう 繰り返し 繰り返し、語られるので 命が掛かっていると もう 必死です。

 世代の見解さえ 変わらなければ 良かったのです。

西暦2000年が来る前に、地上から悪を一掃する 神様地上クリーン大作戦ハルマゲドンーは 起こるはずでした。1980年頃、なりふり構わず、妻から真理を聞いて定職を捨ててフリーターになって、奉仕に専念したご主人さん、もう 年金生活でしょう。夫婦二人で国民年金では食べて行けず、子どももフリーター…。最近、長老団でも 会衆で生活が厳しい信者には 生活保護の申請ができることを教えるという 指示があるようです。えっ、必要最低限の税金しか 払わず、非課税の中で生活することを考えてきて

さんざん、悪魔サタンの支配下にある腐った体制を 批判しながら、今更 政府に頼るんですか?

きちんと 税金払って 会社に勤めているクリスチャンに、早く会社を辞めて もっと奉仕するようにって 助言して、その勧めを聞かなかったら 嫌味いっぱい言いながら、いじめて その人が 生活に困ったら 生活保護?というか、これから 日本全体で 長老って 生活困る人いっぱい 出てくるんじゃないかなあと 思います。

生活保護の申請に来た人に エホバの証人ですか?と 聞く欄があればいいな と 思います。エホバの証人は 嘘をついてはいけないので、はい と答えたら、その人は  同じ年代の人が 必死で働いている時に 街中を歩いて 宗教活動をしていました。自分の生涯にかかる生活費の事を考えずに働ける時に 働きませんでした。なぜなら、もっと早くに ハルマゲドンが 来ると思っていたからです。

働ける時に働いときましょうよ。

 

でも、でも、本当に 問題なのはそこじゃない。

長老も 誤導されてきたのではないでしょうか?

この 組織の背後に 本当に 真理の 神様って いますか?

 

 

【長老は神?】

❤ 教えを 当て嵌めて 許す

キリスト教であれ、仏教であれ、どんな良い教えを説く宗教であっても、人の集まりなので、揉め事は必ず起こる。嫌な人、合わない人は どこにでもいる、好きな人とだけ仲良くしたいなら宗教要らない…。自分に取って嫌な人でも それは 自分の基準だし…。許し合って仲良くする、それに役立つのが宗教の教えでしょう。

教えを当て嵌めて許す、それには 愛を培うことです。と、何度も 学びます。

『あなた方の間に愛があれば、それによって 人々は

   あなた方がわたし(キリスト)の弟子で有ることを知る  』

『愛は結合の絆  』

聖書 愛 と ネットで検索したら、一杯出てきます。愛で相手にされた嫌な事 傷つけられた事を 覆いなさい。忘れなさい。と 何度も 何度も 演壇から 長老が語ります。

語るなら 実践もしなくちゃ…先ず、年長者である長老から…。してるよね。多分。

と 思って 何となく エホバの証人を続けています。そんな クリスチャンがほとんどです。

A 姉妹が ある長老に助言されたことを疑問に思い、巡回監督に手紙を書きました。

巡回監督が 会衆内での問題を扱う方法として、手順が決まっています。

 ①長老に A姉妹と 話し合いなさい。

 ②次回 (半年先の訪問) 来た時に 長老に どうなりましたか。と 報告を求める。

 この結果 次回の 訪問で 長老は 巡回監督に “話し合って解決した”と 述べて問題は終わるのです。

ただ、長老が姉妹と話し合う その方法が 曲者で、大抵 集会の後 王国会館に残されて、まず 問い詰められます。長老は 二人いないと 女性信者と密室で話してはいけないので、相手は 男性二人、充分呼び出しされてるだけで 嫌なのですが、女性信者にしたら 半年に一回 本部から 派遣される巡回監督は、会衆の不備を改善しようと 来てくれた“スーパーマン”です。

“その人が何でも私に話してくださいと言ってくれた、(これは 演壇から必ず言います。常套文句です。)だから、相談した、えっ 巡回監督と一緒に話を聞いてくれて、それは …って 私の気持ち組んで 長老に注意してくれないの。”

 

巡回監督に 話しても 問題視されるだけで、問題は 片づきません。

 

こう 教えられているからです。

長老の任命は 神の聖霊によって 行われた。そして、神は 全ての事を見ておられる。長老の間違いも 正すのが必要なら 神が正される。

問題は、長老の行動に不満を抱く姉妹の方である。全ての事は 神に委ねなさい。

 

すごろくの あがりのように 一度長老になると、先ず おろされることは無いので、ただ 権力が増していくだけです。自分は 神の聖霊を受けて 行動している。

会衆は 自分に従えと…。 長老の姉妹も 夫の権威のもと 会衆の姉妹たちの上に君臨し始めます。

 愛って どこにいったんでしょうね。

 

【宗教とお金】

【宗教とお金】

エホバの証人になって 寄付を強要されたことは ありません。。

ただ、最初に私がものみの塔と目ざめよという 宗教雑誌を配布された時は、一組150円だったように記憶しています。開拓者は 王国会館というエホバの証人の集会所で 一組100円で雑誌を受け取ります。野外で 一組150円の寄付と交換で雑誌を配布できれば、一組50円の差額が 交通費の足しになるのです。伝道者は王国会館で雑誌一組を150円で受け取るので 雑誌を何冊配布しても “もうけ”にはなりません。本は 400円、聖書は いくらか少し記憶に残っていませんが、すべて引き換える寄付の値が決まっていたと思います。

しかし、私がバプテスマを受ける頃には もう 完全寄付制になりました。

『銀はわたしのもの、金はわたしのものであるーとエホバはお告げになる。ハガイ2:7』

という 聖句を 裏付けにしています。

そもそも このハガイの聖句は、1879年に ものみの塔ー当時はシオンのものみの塔ーの出版が開始された時、その紙面に載せられていたそうです。そこには、“この雑誌はエホバが支持者であると信じる。そうである限り、この雑誌は人間に支持を乞い求めたり懇願したりはしない。金と銀は我が物であると言われる方が 必要な資金を供給しないなら出版を中止するときである。”と ありました。

 

しかし、配布方法については 違ったようです。外国や昔のことは知りませんが、日本では 1990年頃までは、寄付について説明していたからです。無償だと思い雑誌を受け取った後で 寄付の話をされて 150円要るの?と思いながら 財布からお金を出した人も 沢山いたと思います。

私もそうですが、寄付を乞うているような形になるのは 不本意だと思い 自分では雑誌一組につき150円王国会館で支払っていても 野外では 寄付の話は親しくなるまでは しないクリスチャンも多かったと思います。

王国会館の維持管理については、集会で 今月の会計報告として寄付いくら、支払いいくらと読み上げられるので、バプテスマを受ける頃には 大体自主的に 月にいくらと 決めた額を 寄付箱に入れるようになります。

私が この 組織に疑問を 持ち始めたのは、今住んでいる地域の会衆に交わり出してからですが、ずっと以前に 集会で 成員一人当たり 月に~円くらい寄付すると 光熱費等諸々の費用が支払えると 発表されたことがあります。

えっ、“金はわたしのもの 銀はわたしのもの” なんじゃないの…。この会衆が維持できないなら この会衆は要らないと エホバは 思っておられるんじゃないの。と 感じて違和感がありました。

こんな 発表 明らかに良くないし、それ 誰も止めないの…。それを、若い兄弟に言わせているのも ショックでした。後で尋ねたら、長老に言うように命令された、と…。  

この会衆は 本当に 謎がいっぱいあります。でも、周りも同じようなもので、たまたま 解りやすく エホバの証人の問題点が 浮き彫りになっているだけだ と 感じるのです。

エホバの証人は 基本的に 寄付を強要はしません。ただ、毎月会計報告はありますし、集会で年に一回 活動を支える寄付について 話が扱われます。

今はしていないだろうけど、親睦会のような集まりでは、食事の提供を取り決められます。集会も奉仕も清潔な服装を求められます。女性はお化粧必須です。費用はそれなりに掛かる気がします。

【エホバの証人⁻いい人達?】

エホバの証人―いい人達?】

昨日、エホバの証人について書いてある記事には 大抵 エホバの証人の一人一人は“いい人”と書かれている、でも 過激な人が多いと 私は思うと 書きました。

いい人達? 過激な人達?と 思いますよね。

一人一人は “いい人”なんです。ただ、信仰の 実践の仕方が過激なんです。

例えば、うそをついてはいけない。これは、戒律で求められています。

教えの出どころは 聖書の『あなた方の“はい”という言葉は はいを、“いいえ”はいいえを意味するようにしなさい。そのほかのことはみな邪悪な者から出るからです。マタイ5:37』という言葉からです。エホバの証人と 他の聖書を用いているキリスト教の宗派の違いは、ここからの適用の仕方にあると思います。

本当に エホバの証人は、1ミリの誤差も許さないのです。自分にも 人にも。

聖書の集まりの後 ご飯に誘われたとします。でも、用事がないけど行きたくない時ってありますよね。余り一緒に行きたくない人も いますよね。

(付き合いたくない人がいるかどうかについては、また 別の問題になります。基本、人類は アダムとエバの子孫で、大きな家族だから愛し合わなければいけません。増して、聖書を学びバプテスマを受けてエホバの証人となった 仲間 兄弟姉妹を 歓迎し もてなし愛を表すのは当然の事なのです。寄付よりも 人付き合いに お金がかかったかも知れません。YouTubeで 有名な方が 宗教はお金を無くすと言われてましたが、気を付けないと 本当にそうだと思います。我が家の場合は、寄付は月にいくらと決めていましたし、付き合いに使うお金は上限を設けて考えていて、他の親族や友人との交友が全く取る時間がなっかたので、エホバの証人だったからとても無駄に金銭を消費したというほどではなかったからまだ 良かったのです。)

話を戻して、誘われた時、ちょっと忙しいからという 返答は 偽りになってしまいます。仕事がある、介護がある、先約がある、こうしたはっきりとした理由を言わないで断れば、付き合いが悪い。何度か繰り返し断ると=愛が足りないと、長老の覚えめでたく 呼び出されることもあります。このブログの最初の方で エホバの証人は会衆ヒエラルキーがあると書きましたが、その底辺にいる 夫がエホバの証人ではない姉妹たちはまだ、見逃してもらえます。我が家の場合は 夫がエホバの証人で 正社員であり 私は開拓者(たくさん奉仕ー聖書普及活動ーをする人) だったので、参加して当然であり、ついでに 金銭的にもたくさん負担しなさい。という 圧力があったので 夫が呼び出しされて 何か 言われたら気の毒だしと思うと 怖くて 断れないのです。私が我慢すればいいんだ、という食事会は 繰り返しありました。

でも、偽りは語れない。うそをついてはいけないからです。

普通に 「あっ 今日ちょっと用事が…。」という 断り文句は エホバの証人の中では “神の前で偽りを語った”ことになります。

世の中って 余り 本音語っても ギスギスしませんか?

私 エホバの証人との付き合い減らしたくて パートに出たんです。(これはこれで 楽園がもう来るのに世の富を蓄えようとしている異端者だ と 長老から 夫が叱責されるネタになってしまうのですが、) 休み希望は 普通に 前月に三回希望日を提出するシステムだったんですが、聖書を学ぶ大会があると その日を書いて出します。理由は書く必要が無くて 休めるんですが、集会では そうした場合でも、私はこうこうこんな聖書の勉強のために休みます、と言いに行くことが きちんと信仰を表明している証だと教えられます。うやむやに休むのは 偽りだ と、また せっかくの信仰の表明の機会を逃すと。

エホバの証人、生きづらくないですか。というか、エホバの証人が 周りの人に迷惑かけてませんか。

別に 休みの理由聞かれてないし、聞きたくもないだろうし、聞く必要もないのに、信仰の表明って そんな自己満足の信仰、神様 喜びますか?

 

エホバの証人 いい人 かも知れないけど、 聖書の当て嵌め方は “過激”です。

【危ない宗教5選の中に入っていた宗教に所属していた】

【危ない宗教5選の中に入っていた宗教に所属していた】

YouTubeで 危ない宗教5選ーという動画を見ると、エホバの証人が入っていたので見たのですが、信者である間は エホバの証人に反対する動画・記事・その他諸々、全て信仰を覆さそうとする 悪魔サタンの側の勢力の陰謀であると、教えられているので 普通の信者は全く見ません。

(神様は いつも すべての事を見ておられると 教えられているので、安心でもあるし怖いことでもあるのですが、守られている感はあります。)離れてみて 初めて ネットでの情報を 見たり読んだりしたのです。共通して書かれているのは 輸血をしない事、投票しない事、で過激な宗教である。しかし、一人一人は 良い人だという点です。個人の生活の中で 親切であること・社会の規則ルールを守ること・良い夫良い妻良い子どもとして責任を果たすこと 等 教えられるので 過激な宗教の割には ごく普通の人が多いと感じます。

昨日 YouTubeで見た中で 親がエホバの証人の場合 子どもがかわいそうだと言われていました。それは 個人差がありますが、大半の子どもは嫌なら離れていくので、大人になってまで 嫌々エホバの証人をさせられていることは 稀です。10代後半ー高校生になって集会に来ている子たちは エホバの証人を自ら選んでいると 私は接していて感じました。ただ 何が何かわからないまま 親についていかされる年齢のころは

家庭によっては 苦行を強いられた子どもさんもいると思います。

幼いころは 集会で 静かに話を聞くという “試練”?があって…集会は 週に二回あって 一回は二時間です。(今はzoomなので 自宅で参加なので 少し楽でしょう。)

集会は王国会館であるので、自分たちが所属する区域の王国会館に自転車で20分~30分かけて行きます。週のうち一回は夜ですし、(大抵7時から9時です。)雨の日も 冬寒い時も 大変だと思います。私は 自分が聖書を学んですぐに 夫が一緒に集会に行くと言ってくれたので、子どもが生まれてからも 集会には 車で行くのが日常でした。ですが、家族で自家用車で集会に出席できる人は少なくて、というのも 家に聖書の普及活動に来たエホバの証人と聖書を学んで集会に来るのは、たいてい妻だからです。

宗教を危惧するご主人の監視の目を潜り抜けて 奥さんが子どもを連れて自転車で集会に出席します。集会に出席するまでが 大変だと思います。自転車で 寒いし暑いし 暗くなるし 眠いし。日曜の朝だと 子ども番組の定番も見れないし…。

 

そして、集会中 椅子にじっと座らされます。未就学児では 二時間黙って座るのは 大変だと思います。話したくなったり、ごそごそしたり…うるさくすると “むち”をしろと エホバの証人の先輩姉妹ー司会者の姉妹から(エホバの証人は聖書を教えてくれる人を司会者と呼びます。)“むち”をしてくるように 促されたりします。

この “むち”というのは、聖書の箴言22:15にでてくる  

『愚かさが少年の心につながれている。懲らしめのむち棒がそれを彼から遠くに引き離す。』という むち棒のことです。

この聖句を根拠に エホバの証人の中で 体罰は必要だと 長く教えられています。

ただ、私が学んだ頃の 目ざめよという エホバの証人の雑誌にも “懲らしめのむち棒とは あらゆる形の懲らしめを含み 多くの場合 体罰である必要は無い”と この聖句の意味が詳しく説明されていました。(興味がある方は エホバの証人のサイトに行かれて 目ざめよ92年9月8日号を ご覧ください。) 私は その記事を読んでいましたし、聖書自体は いいことがたくさん書かれている本だと思っていたので、やみくもにむちをふるうお母さんたちが多いのが 不思議でした。

私は 集会中 子どもの集中力が持たないなら 夫と交代で 王国会館の部屋の外に 連れ出して気分転換したり、夫自身 2時間も話し聞くの辛いなあなんて 言う人でしたから、余り子どもに無理させた記憶は無くて、ただ 字は早く読めるようになりました。聖書も雑誌もフリガナを振りましたし、子どもが余り疲れるようなら もう 帰ってもいいくらいの 肩の力が抜けた エホバの証人だった気がします。

ただ、我が家は 異端でした。

だって 皆さん、必死で 命かけて 一回一回の集会が 生命線で。

一回集会抜かすと もう 楽園は行けないよ。死ぬよ。ハルマゲドンはもう 明日にも来るよ。そしたら、軍服きた兵士が 床下に隠れて集会してるエホバの証人を捕まえに来るんだ。そんな DVDを 繰り返し見せられているので、本当に必死なんです。

でも、うちの子どもの 幼い頃は 今しかなくて、ハルマゲドンはすぐ来るんだろうけれど、大人になるためには きちんと 道徳も必要だけれど 学校教育も必要だと思っていたので、普通の生活を普通にしながら、社会の一員として責任を果たしつつ、終わりまでクリスチャンでいれたらいいなあーが うちの夫婦の子育て目標だったんです。

今 エホバの証人のお母さんに集会に無理に連れていかれて 嫌だと思っているお子さんがいたら、先ずゆっくり お母さんと話せたらいいなあと思います。

まあ ただ エホバの証人は 本当に 過激派が多くて…どんな組織にも、信条や戒律があって、それを行動の指針にしたい人が集まるんですが、どの程度当て嵌めていくかは 個々各々違ってきます。エホバの証人は 過激派が多い集団のような気がします。

聖書自体は この事物の体制が 21世紀初頭に終わる、その終わる時に起こるハルマゲドンという神様の戦争の後、神様に従うエホバの証人だけが助かるとは 書いていない。

でも、ものみの塔聖書冊子協会ーエホバの証人の本部名称ーは、そう 理解することができると 断言して、ハルマゲドンを生き残りたければ 今 エホバの証人として 頑張りなさい、と ハッパをかける。  

“今、あなたの家が燃えています。火事です。逃げるでしょう。火事の中 普通に生活したいなんて思わないでしょう。今 緊急に行動しなさい。”と 考える間を与えず、集会と聖書の普及活動と仲間との交わりにだけ時間を使わそうとする。

我が家は 夫と一緒に学んだ事を振り返れたので、まだ冷静に聖書の良い点だけを学べたと思うので、被害は少なかったのです。

10年ほど前に 小学5年生のお嬢さんが 集会に来るのは嫌だと言いました。次の集会に無理矢理連れてこられて 集会の後 長老に 集会に来ないとハルマゲドンで死ぬんだよと言われました。(30分くらい色々説得され繰り返し命がかかっていると言われたのです。)

 

我が家の場合は 幼いころから 宗教は個人的なものだから自分で決めていいんだと話していましたし、自分で自分の気持ちを親にはっきりと言える年齢になるまでは、こちらから聞き出さないとと思っていました。

無理強いはしないと 決めていました。

それでも 人間の感情は一枚では無いので、こどもが自分でも意識していない蓋をしている部分で 我慢していたり あきらめている部分はあったと思います。

子どもが辞めたいと言ってくれた時は、夫も私もそれぞれが いい加減この組織の怖さについていけなくなっていたので、家族の総意で エホバの証人から離れることができて 本当に良かった。

 

 

昨日、うらみちお兄さんを見たら…

【昨日 うらみちお兄さんの第3話を見たら、エホバの証人が出てきた】

うらみちお兄さんのマンションの部屋をピンポンして出てきたうらみちお兄さんに

「あなた、神を信じますか?」と尋ねる女性二人がアニメに描かれていました。あっ、これエホバの証人?って思いながら見たんですけど。

いきなり“あなた、神を信じますか”から布教活動するエホバの証人はいないと思います。でも、家で寛いでいる時に知らない人が突然訪ねてきて、宗教というプライベートな話題を振られたら、誰でも驚きますよね。(コロナの流行の影響を受けて、今は 家を訪問する布教活動は 本部から禁止されています。少なくとも去年最初の緊急事態宣言後 程なくして、家を訪問することを控えるようにという本部からの指示がありました。その後、会衆を離れていますので、今後再開するのかどうかはわかりませんが。)

エホバの証人は、この感染症の大流行も、1914年から始まってハルマゲドンが始まるまでの期間を示す預言の一つが成就した証拠だと思っています。聖書のマタイやルカ書に、“この事物の体制の終結のしるし”として、“戦争” “地震” “疫病” “愛が冷える”  “不法が増す” と、列挙されているのです。この感染症の大流行は まさしく“疫病”であり、エホバの証人は、「うわぁ、終わりは近い。ハルマゲドンはもうすぐだ。」と色めき立ちました。そして、早くこのことーこの悪い時代がもうまもなく終わること、悪い時代を終わらせるために、エホバ神がハルマゲドンを起こすことを、まだ知らない人達に伝えに行かないといけないと真剣に考えています。私は、この感染症の流行が終息することを心の底から待ち望んでいますが、同時に感染症の流行が終わった後のエホバの証人の活動を恐れてもいます。“ピンポン、ピンポン、うっとおしい…と。”

家族で離れている私たちのような元信者には、友人が何人かはいるので、離れた直後は手紙が入っていたりお菓子が門扉にかかっていたりしました。でも、感染症が流行しているので集会はzoomですし、奉仕活動も無いので(集会以外に zoomで繋いで奉仕のための集まりがあるようなことも聞きましたが、電話証言も電話番号簿の数が足り無いようなので どうされているのでしょうか。)引き留められたり、離れる理由を聞かれることが無くて エホバの証人を辞めたというより、うまくフェードアウトできたという感じです。もし、エホバの証人でいることに疑問を持ちながらも離れそびれているなら、集会がzoomで行われている今がお勧めです。エホバの証人は仲間同士が家族だと思っていますし、普段知らない人の家を訪問するのに突然訪問することが当たり前になっているので、仲間の家も突然行くのです。私は、突然家に来られるのが 本当に嫌でした。奉仕で区域の方の家に突然行くのは、その人に連絡する術が無いからで、親しくなれば当然連絡先を交換して 訪ねていい日時を聞くはずです。それならば、同じエホバの証人同士で連絡先を知っているのなら なぜ 今から言っていいのかラインしないのでしょうか。また、手紙がポストに入っていたりといっても 切手を貼ってある郵便で届く手紙では無くて、自分でポストにいれた手紙です。エホバの証人は、布教活動で家に行き 少しでもお話できた方には 再訪問といって 聖書の言葉をカードにしたり ものみの塔誌というエホバの証人の発光している聖書教育雑誌から 役立ちそうな言葉を抜き書きして短い手紙を書いて お渡ししに行くので、手紙は自分で届けるものだと思っているのかも知れません。単純に家が近くて手紙を自分で届けられるのに切手を貼るのはもったいないと思うのかも知れません。家の方には お届けするのは当たり前というか、できればお会いしたいので家まで届けるのは当然なんですけど。(大前提として奉仕で突然お会いした方の名前は知らないから、手紙を郵便で出すことはできないですよね。)

でも、聖書の布教という奉仕の活動は、神様に捧げる貴重な時間の貢物です。ならば、そこに少し離れているとはいえ もう聖書の内容は知っている信者への訪問を 混ぜこまないで欲しいと願っています。いくら、聞いてくれる人が少なくて奉仕の時間が短くなるとしても、ついでには来ないで欲しいのです。何があったのか、納得して自分の好奇心を満たすためだけの訪問も 嫌ですけど。

この感染症が終息した後、また家を訪ねる布教が再開されたとしても、誰も来てほしくない、そう心から願っています。

確かに、私もかっては 布教活動に参加していました。それはもう間もなく この地球上の悪を全て無くすために、神様が“ハルマゲドン”という戦争を起こすので、そのハルマゲドンを生き残るためには聖書を学んでエホバの証人にならなければいけないからです。聖書は 人類を ハルマゲドンから救うための本、サバイバル本なのです。

神様は ご自分に背いたアダムとエバの子孫…今現在地上で生きている人間すべて…エホバの証人以外は 悪魔とその手先を滅ぼす時に 同時に滅ぼされます。悪魔と配下の悪魔の手先 悪い霊者と共に 滅びたくなければ、聖書を学んで その基準ー神様の基準に生き方を合わせることが必須なのでー聖書は迫りくるハルマゲドンの滅びを逃れるための道筋が示されている 緊急脱出本なのです。エホバの証人はそう理解しています。その基準にそった生き方ーつまりエホバの証人になって、神様への信仰を保ち、本部や本部に用いられている長老の指示に素直に従う事が、神様の戦争-ハルマゲドンを生き残るための唯一の条件なのです。

私が、エホバの証人と聖書を研究しようと思ったのは、この不公平な時代がいやだったからです。悪いことをしても上手く逃れてしまう人がいる。そういう悪いことを行った人は、来世ではきっとその報いを受ける、みたいな 輪廻の考え方は納得がいかない。だって、生まれ変わったその人は 過去の悪行なんて覚えてない。えっ、私何にも悪いことしてないのに なんでこんなについてないの。あっそっか、私が 前世で悪いことしたからやって、そんなん 私と違うー。私やけど、私と違う…って 思います。

だから聖書を学んで、人間には 生まれ変わりは無くて、その人にはその人の行いに応じて 良い報いと悪い報いがある、今 このもともとは 神様が創った世界だけれど、人間の先祖 アダムとエバが 悪魔に唆されて神様に背いてから、悪が人類史に入り込んで もう6000年以上たち、今 地球上は悪で溢れている、神様はもう間もなく行動を起こしてくださる。人間が神様から預かったこの人類の家である地球を、戦争や大気汚染で滅ぼしてしまう前に…。

その 神様の戦争ーハルマゲドンは、地上から全ての災いを一掃し 神様に従う正しい生き方を選んだ神の契約の民だけが生き残る。悪い人は、その時 必ず 滅びると聞いて ほっとしたのです。

新しい天と新しい地には、義が宿る…と 聖書に書いてあったから。だから、私も奉仕をしました。聖書を学んで 一緒に楽園で生きたかった。

奉仕の集まりで よく使われた例えが “消防士”でした。消防士は 火事だと聞くと、朝でも 夜でも 家に飛び込みます。お家の方は、自分の家の家事に気が付いていないので、びっくりしますが、命がかかっているのです。火事だ、と教えてあげなさい。

ハルマゲドンは近いのです。命がかかっています。命を助ける業なのです。

そう 教えられたので、突然 家に来られるのは 嫌いな私でしたが、奉仕活動は参加しました。(奉仕の仕方に疑問がある場合は 私は私にあったやり方で奉仕に参加しようと思っていましたので、エホバの証人のやや強引な奉仕活動にすべて賛同できたわけではなかったのですが。エホバの証人の強引な奉仕については また 後日書きますね。)

 

ハルマゲドンは、1914年から 一世代の間に来るはずだったのです。1914年に

バプテスマを受けてエホバの証人として 神の契約の民として活動していた人が

生存している間に 神の大いなる日の戦争ーハルマゲドンは来るはずでした。

2000年初めに、ものみの塔聖書冊子協会ーエホバの証人の本部は アメリカにありますが、その統治体のメンバーは 神の霊感を受けて 聖書の理解が深まったとして、世代の見解に変更を加えました。1914年生きていたエホバの証人から 直接教え指導を受けることができた人、その人が生存している間までを一つの世代と考えると変更したのです。

おじいちゃんから 孫やひ孫に続く世代まで 一世代と数える、それは ゆっくりたくさんの人に聖書に親しむ機会が与えられていいかもしれない。でも 自分が生きている間にハルマゲドンが来ると信じて、家も仕事も捨て 年金も保険もかけず、今老後を迎えて まだ終わりは来ないのかと 実際の生活に困っているエホバの証人が たくさんいるのも 事実なのです。

本当に 聖書が神様からの手紙なら、いや もしかしたら 聖書が間違っているのではなく、聖書を理解するその人達が間違っただけだとしても、エホバという名前を持つ神様が唯一誠の神で、エホバの証人がその神様が用いておられる神のこの地上のただ一つの組織だというならば、その 世代の見解だけは 間違ってはいけなかったのではないのか と 思うのです。人間のこの地上での生涯には、寿命があり 限りがある。

 

また、家族の誰かが エホバの証人として生きるという事は、家族の中で分裂をきたすことにもなる。エホバの証人と聖書を学んで、ご主人から大反対を受け 子どもと離されて離婚を選択させられた信者の方が います。子育てを終えてからでも まだ 間に合った…自分が学んだ頃は、もう明日にもハルマゲドンが来ると言われたけれど…反対したご主人も亡くなり、子どもはとっくに巣立ち、そのエホバの証人の姉妹は ただ

鬱々と失意のまま 病気で亡くなりました。

ある家族のご主人は、休日は奥さんと子どもと遊びに出かけたい方でした。妻が子どもを連れて聖書の集会に行くので、ご主人は寂しくて堪りません。でも、20年たち、30年たち、子どもはエホバの証人になった子もいれば、離れた子もいます。ただ、夫婦の距離は ずっと 離れたままです。

我が家はたまたま 家族で学べて良かったと 心から思います。