【エホバの証人⁻いい人達?】

エホバの証人―いい人達?】

昨日、エホバの証人について書いてある記事には 大抵 エホバの証人の一人一人は“いい人”と書かれている、でも 過激な人が多いと 私は思うと 書きました。

いい人達? 過激な人達?と 思いますよね。

一人一人は “いい人”なんです。ただ、信仰の 実践の仕方が過激なんです。

例えば、うそをついてはいけない。これは、戒律で求められています。

教えの出どころは 聖書の『あなた方の“はい”という言葉は はいを、“いいえ”はいいえを意味するようにしなさい。そのほかのことはみな邪悪な者から出るからです。マタイ5:37』という言葉からです。エホバの証人と 他の聖書を用いているキリスト教の宗派の違いは、ここからの適用の仕方にあると思います。

本当に エホバの証人は、1ミリの誤差も許さないのです。自分にも 人にも。

聖書の集まりの後 ご飯に誘われたとします。でも、用事がないけど行きたくない時ってありますよね。余り一緒に行きたくない人も いますよね。

(付き合いたくない人がいるかどうかについては、また 別の問題になります。基本、人類は アダムとエバの子孫で、大きな家族だから愛し合わなければいけません。増して、聖書を学びバプテスマを受けてエホバの証人となった 仲間 兄弟姉妹を 歓迎し もてなし愛を表すのは当然の事なのです。寄付よりも 人付き合いに お金がかかったかも知れません。YouTubeで 有名な方が 宗教はお金を無くすと言われてましたが、気を付けないと 本当にそうだと思います。我が家の場合は、寄付は月にいくらと決めていましたし、付き合いに使うお金は上限を設けて考えていて、他の親族や友人との交友が全く取る時間がなっかたので、エホバの証人だったからとても無駄に金銭を消費したというほどではなかったからまだ 良かったのです。)

話を戻して、誘われた時、ちょっと忙しいからという 返答は 偽りになってしまいます。仕事がある、介護がある、先約がある、こうしたはっきりとした理由を言わないで断れば、付き合いが悪い。何度か繰り返し断ると=愛が足りないと、長老の覚えめでたく 呼び出されることもあります。このブログの最初の方で エホバの証人は会衆ヒエラルキーがあると書きましたが、その底辺にいる 夫がエホバの証人ではない姉妹たちはまだ、見逃してもらえます。我が家の場合は 夫がエホバの証人で 正社員であり 私は開拓者(たくさん奉仕ー聖書普及活動ーをする人) だったので、参加して当然であり、ついでに 金銭的にもたくさん負担しなさい。という 圧力があったので 夫が呼び出しされて 何か 言われたら気の毒だしと思うと 怖くて 断れないのです。私が我慢すればいいんだ、という食事会は 繰り返しありました。

でも、偽りは語れない。うそをついてはいけないからです。

普通に 「あっ 今日ちょっと用事が…。」という 断り文句は エホバの証人の中では “神の前で偽りを語った”ことになります。

世の中って 余り 本音語っても ギスギスしませんか?

私 エホバの証人との付き合い減らしたくて パートに出たんです。(これはこれで 楽園がもう来るのに世の富を蓄えようとしている異端者だ と 長老から 夫が叱責されるネタになってしまうのですが、) 休み希望は 普通に 前月に三回希望日を提出するシステムだったんですが、聖書を学ぶ大会があると その日を書いて出します。理由は書く必要が無くて 休めるんですが、集会では そうした場合でも、私はこうこうこんな聖書の勉強のために休みます、と言いに行くことが きちんと信仰を表明している証だと教えられます。うやむやに休むのは 偽りだ と、また せっかくの信仰の表明の機会を逃すと。

エホバの証人、生きづらくないですか。というか、エホバの証人が 周りの人に迷惑かけてませんか。

別に 休みの理由聞かれてないし、聞きたくもないだろうし、聞く必要もないのに、信仰の表明って そんな自己満足の信仰、神様 喜びますか?

 

エホバの証人 いい人 かも知れないけど、 聖書の当て嵌め方は “過激”です。