宗教といじめ 【夫の話 その1】

【  夫の話 その1 】

 いじめと言うと 学校、 職場、 家庭。人が集団で活動する所では 起こりうる普通の出来事になっています。大人になるまでに いじめを経験したことが無い、もしくは いじめを見たことが無い、人は珍しいでしょう。

 

そこが、逃げられる場所なら、問題は少なくて済む、と 思いませんか。主婦のパート先なら、ちょっと嫌味な先輩パートさんがいても、家が近いからとか、給料や雇用条件がいいから、という理由で、秤にかけて 我慢するか 仕事先を変えるか 考えることができます。でも、生計を立てている仕事なら そう簡単に辞めることは難しく、実際

無理をしてしまうでしょう。

家庭内でのいじめは 昨今 モラハラや DVという表現で 問題にされつつありますが、少し前では 夫が暴力をふるうのは よくあることで 怒らせないように 妻が気を使いなさいと助言されるのは普通の事だったように感じます。(夫はご飯を食べさせてくれる人だから…です。) でも、家庭内の 虐めは、虐げられる側の配偶者も 子どもにも 暗い影を落とす大きな問題です。それは その 虐めが行われる場所、家庭から簡単に 逃げられないから です。

学校も そうです。教育は 今では、ほとんど義務教育のように 当たり前に 幼稚園、小学校、中学校、高校と 通います。

その中で、たまたま 何かの 本当に些細なきっかけから いじめられ、先生にも助けて貰えず、親にも言えず 苦しい時間を ただ時が過ぎてくれるのを待つしかなく辛うじて生き抜いた子どもたちが 何人も居るのでしょう。私自身、はみごにされたことは ありますし、クラスになじめず 半年ほど いじめられているのかもしれない と想像できる状態のクラスメートも 知っています。学校も 簡単に 変えられる場所では無いし、学齢期の子どもにとっては、そこは 家庭に次ぐ 長い時間を過ごし 人として生きるための基礎を学ぶ場所なので、これもまた、つらい経験です。何より、いじめられる側に 自分は いじめられるに値する ダメな奴なんじゃないか という 疑念を植え付ける経験でも あるからです。(ほら、子どもの間って 自分より人の意見の方が正しいって 素直に思ってしまいますよね。子どもって自尊心が最後に育つそうです。自分より 他者の意見を尊重できるように プログラミングされているのかもしれませんが それが マイナスに働くのでしょうか。虐められるより 虐める方が悪いのにね。) なんにせよ、学校でのいじめも いじめの現場である 学校から 簡単に逃げられないので、つらい経験です。

前振りが 長くなって ごめんなさい。では、宗教の場での いじめはどうでしょうか。

 私は、私たち家族が所属していた宗教しか 知らないのですが、妬みの感情に突き動かされるのでしょうか。 善意というオブラートに包んだいじめの オンパレードでした。世界中の 会衆を知っている訳ではありませんが、今まで所属した 幾つかの会衆と(引っ越し等で 幾つかの会衆に所属しました。)友人の話を足すと、 妬み いじめは エホバの証人あるあるかもしれません。私は、会衆外の人に 自分の所属している宗教内でいじめがあるとは 言いにくくて、また 自分自身でも 夫、私、子どもが そのいじめの対象になっているとは 認めがたくて “何となくこれは 偶然 期せずしてそうなっただけで、私の思い過ごしなんだ。”と いじめられてるのかなという思いを 打ち消していました。そして、エホバの組織 所属している会衆を 離れてから 親しい友人に 「いじめられたかも…。」 と 話したら 「えっ エホバの方って 聖書を 信仰している方たちでしょう。皆 いい人じゃないの?」と 不思議がられました。

本当に 不思議ですよね。 だって 『あなたの隣人を 自分自身のように愛しなさい。』って 教えられています。あなた方の間に愛があるなら それが イエスの弟子の印になるって 書かれています。聖書の主要な教えは 愛を動機として 行動するですよ。なのに、虐めが 普通のこととして、存在するって 不思議でした。

 

そして もっと 不思議なのは、エホバの証人の中でいじめを行う人は その会衆の中で つまり エホバの組織の中で 信仰が厚く信頼できるとみなされている 主だった立場の人が 行うということです。もちろん 聖書を勉強したから もともと 意地悪な性質を持っている人が 急に 良い意地悪をしない人に なる訳では 無いのはわかります。問題なのは、大きく二つあって、

①いじめは 善意というオブラートに包んで行われるので、信仰を育ててあげるための必要な助けだった と 思わせること

②いじめた側が権力を持つので、いじめを訴えたとしても いじめられた側が叱責されるだけ ということ  

です。その 背後には 神の存在が大きく 関わってきます。

夫は 私たち家族の中で 一番繊細で 自分自身 人に 嫌なことをするということが 全く考えられず、また 今まで、学校でも 会社でも 自分より 年長の人には 親切に接して頂くことが多かったので、会衆の中でのいじめに 傷つくのが 一番早く みるみる元気を無くしてゆきました。 何より 教えられていることとのギャップが 辛い経験でした。聖書の教えといじめ は もう少し長くなるので 次回も続き書かせてください。 きょうは ここまで。読んで下さりありがとうございました。