宗教といじめ 【夫の話 その2】

【  夫の話 その2  】

学校や家庭でのいじめが辛いのは (個性を尊重できなかったり 自分の鬱憤を晴らすために行われるいじめに どこの場であろうと あっていい筈は無いのですがー)

学校や家庭が 簡単に逃げられない場所だからであると同時に、そこが本来は安全と安心が確保された場であることが 保証されなければならない場所だからです。基本的人権で守られるべき場所ですよね。

では、宗教の場は どうなのでしょうか。今 信仰している宗教が駄目なら 次の宗教を探せばよいー学校や家庭よりは 逃げやすい場所かもしれません。また、宗教といっても 人間同士の集まりですから 当然 価値観も違いますし どうしても 合わない人がいるなら 他の地区の集まりに参加すれば良いのかもしれません。

ただ、エホバの証人の教えには 独特のものがあり 簡単に いじめから逃げることができないシステムが出来上がっているのです。(いじめの特徴として 閉鎖空間で起こりやすいことが挙げられます。同じような子どもが集まる場所でも 児童館のような学校よりやや開放的な施設では 起こりにくいようにー毎回来る子どもが変わるから。ターゲットを一人に絞れないといじめは成り立たないので。)

いじめ って 不思議ですよね。一度に起これば 犯罪なのに 長い期間をかけて少しづつ 重ねて行えば 罪の意識も薄れるのでしょうか。(一回で充分犯罪になるいじめもありますけど。)さすがに 宗教の名の元に行われるいじめは 犯罪行為は 無いと 信じたいですが、私が知らないだけかも知れません。

先ずは、エホバの証人内で起こるいじめは 逃げにくいという問題点から説明します。

エホバの証人の 信者の纏め方は、地図に線を引いて そこに住居を定める信者をその会衆の信者とする というものです。会衆があり(会衆には 長老と呼ばれる会衆を代表とする信者が複数名います。) その幾つかをまとめて 巡回区とし(これをまとめる巡回監督という役割を持つ信者がいます。)巡回区がいくつかまとまって 地域になります。日本は 7つくらいに分けられていたと思いますが、信者数自体は ここ25年ほとんど増減はありませんが(★4)日本支部と 呼ばれています。

お友達に 他宗教を長年信仰している方がいるので 集会の話を聞いてみました。そうしたら 苦手な人がいるから 自分は違うグループの集まりに参加する、どの集まりに参加するか どれくらい出席するかは 自由である と 言われました。もう一人のお友達にも 同じようなことを 尋ねましたが やはり 厳密に集まるメンバーを決められているわけでは 無いし 嫌なら 行かなければ良い 数回行かずにやり過ごせば、気分も変わるし 嫌な人を避けることもできると 言われました。

 エホバの証人に 所属する“会衆”を選ぶ自由はありません。また、今日は集会行きたくないな、というくらいの理由で 集会を休むことはありません。大げさじゃなくて

命に係わるから(★5) です。

ごく ごく まれに 働いている会社の近くの会衆に所属している場合や 隣の会衆の集会に行く人などいますが、こう思われます。『信仰が弱いんだな…。』

集会では 様々なテーマが扱われますが、ルール 決まりを守ることが 秩序を守ることであり、エホバ神様は 秩序を最初に定めた方なので、ルールを守らない事=秩序を乱す事=エホバ神様への信仰が弱い人 と 教えられます。

様々な人生の軋轢に心がおしひしがれ 疲れた時 

 聖書のイエスキリストの言葉

『わたしのもとへ来なさい。私があなたを爽やかにしてあげましょう。』に惹かれ、

安心と安らぎを得ようとして 集まりに来ているのに、そこには 執拗ないじめがあり 

そして、ルールを守らない人は 信仰が弱い(★6)と 断罪されるので 会衆を変わったり、集会をやすんだりという 逃げ場が無いのです。

堂々と会衆を変わる一番良い方法は 引っ越しをすることですが、ほぼほぼ 今は日本国内であれば どこの会衆に引っ越しても 同じようなものなので、ある会衆でいじめられている成員は またいじめられる だけでしょう。

えっ、どこにいっても虐められるというなら、それ あなたが勝手にいじめられていると言ってるだけで あなた達家族に問題があるのでは…と 感じませんか。

いじめの ターゲットにされる 要因の一つは

 「正社員で 職に就く」「妻が働くーシングルの場合は仕方なく例外として認める」です。

うちの 家族の場合は 夫が 正規の会社員で 働いていましたので、時に集会のある日に残業があり 集会に遅れることがありました。(製造業の会社に勤務していて 中国の爆買いの折や 景気の良い時など 多忙な時期がありました。)

子どもは 小学生のころ 科学に興味を持ち 理系の分野を学ぶ学校に進み 卒業後 正社員で働く道を選ぼうとしていました。

私は エホバの証人には 奉仕活動という 集会以外に 参加が望ましいボランティアがあるのですが その奉仕活動で 開拓者という名称をもらいながら 残った時間で

パートに行っていました。

私たちは 生活に必要な物を 労働の対価として得ようとしていました。また エホバの証人の活動は 実は結構 金銭がかかるものなのです。集会や奉仕は 出かけるわけですから 交通費もかかりますし 服や靴も傷みます。男性は 集会だけではなく 奉仕もスーツですし 季節も変わります。月毎の 寄付もします。クリスチャンの仲間を少しもてなすためにも お金は必要です。

その上で 税金も 年金も きちんと納める生活を したかった。決して 富を得ようとしていた訳では ないのです。

夫に対するいじめは 言葉から始まりました。エホバの証人のいじめは 大半 言葉の

いじめ だと 思います。(もう一つのやり口は はみごにするでしょうか。これは後で出てきます。) 私がいないところで 夫に 長老の妻が「ーーは今日も仕事?」

「ふーん。」と言います。子どもが 平日の夜の集会に 学校からまっすぐ 集会に参加します。学校の鞄を持っているので、誰の目にも学校から来たのだなと 分かるのですが。「学校 遅いのね。勉強して 何になるの?ふーん。」

夫が 残業で集会に遅れます。集会の後 「仕事忙しいんですね。ふーん。仕事 変わればいいのに。ふーん。」

雰囲気が伝わらない 「ふーん。」ですが、これを 繰り返し そうですね、5年間で 100回くらいは 言われたかな…。避けられないんですよね。集会の後 こう言ってやろうと 目指して 一目散に近づいてくるから。うちの夫は 優しくて礼儀正しい人だから、失礼な物言いにも ムッとした態度は取れないんですよね。

そして、何より 前回のいじめの話の最後に エホバの証人のいじめは

①善意というオブラートに包まれると書きましたが、

この場合の「ふーん。」は 、信仰の弱い家族に 信仰を強めなさいよと教えてあげたくて 信仰弱いよ。と 指摘してあげたんだ。ということでしょう。

だから、いじめ この場合は 嫌味ですが、言われる方は辟易として 集会に出席しなくなっても、嫌味をいった自分が悪いのではなく あっ やっぱり 前から信仰が弱いと思ってたのよ。せっかく 励ましてあげてたのに。と 思っているのでしょうか。

大学に進学した若いクリスチャンや、会社に正規雇用されたクリスチャンで、こうした「ふーん。」攻撃に (もちろん 人によって言い方 表し方は様々です)耐えきれず 離れた若い信者さんも 多数います。

動機がいいなら どんな言い方をしてもいいのでしょうか。 身体に付けられた傷は治ることもあるから その傷の治り方を見て、ああ 随分と時がたったんだなあって感じて過去にすることもできるかも知れない。でも 言葉の傷って 見えないんですよ。

そして 見えないから 言った方は簡単に忘れることができる。言われた方は 傷が治ったかどうか 確認できない。だって 心の傷は見えないんだもの。ふとした弾みに思い出し “あっ私 まだ 傷ついてるっ”て 気づく。“言ったあの人は 私をこんなに傷つけたあの人は 忘れて ケロッとしてる。えっ 私が弱いの 気にしすぎなの”って

傷つけられた方が ただ自分の弱さに たじろいでしまう。ほんとにイヤ。

もう ずけずけ 話しかける人 いい加減やめてほしい。

だって クリスチャンなんでしょう。自分にして欲しいことを 人にしてあげるんでしょう。塩で味付けられた言葉で 話すんでしょう。って 夫の話をぽつぽつ聞きながら思い続けてました。夫も私を傷つけたくないから なかなか 話さないんですよね。

最終的には 我が家は 先ず 妻はパートを辞めろ これは たまたま 辞めた後の助言でしたが、夫は転職しろ 子どもは あと2年残す学校を今すぐ辞めてー日本ではほとんど義務教育化している高校課程は済んでいたのでー働くように言われたのですが。この助言は聞きませんでした。

まあ その 過激な助言をしてくださった長老たちのために

エホバの証人の 特別ルール ぶっちゃけときます。

 エホバの証人で 二世と呼ばれる 親が クリスチャンで 子どものころから 聖書を学んできた子どもは、大学に行かず 会社に正規雇用されては行けない。という 

ルールが 存在するのです。これ、本当です。書いていて そりゃ うちの家族は エホバの証人続けられないわって 改めて思いました。  

 長くなるので 続きはまた。