地上の楽園で永遠に生きる-JWが語る ハルマゲドンとこの世の終わり 2

 【地上の楽園で永遠に生きるーJWが語る ハルマゲドンとこの世の終わり 2】

ミトコンドリア・イブという 現生人類の最も近い共通女系祖先がいると言われています。それが、聖書のアダムとエバ、アダムとイブなのか 私には分かりません。が、

エホバの証人と聖書を研究すると、最初の男女を神様が創られた時は 完全だった。しかし、ある天使だった霊者に唆されて 善悪の知識の木の実を食べてしまった結果、不完全な者となった。罪と死を 自分たちだけではなく その子孫ー人類すべてに伝えることになったので、人は人を支配して 欲望のまま 行動するようになった。犯罪、戦争、暴力、病気、老化、そして死…。

今の総ての 悪の元をたどれば、最初の男女がエデンの園で反逆したことに行き着くと

教えられます。『ミトコンドリア・イブ』 『Y染色体・アダム』が かって エデンの園に居たという訳ですね。

そして、その二人が犯した罪の結果 人類史に持ち込まれた悪い状態を回復するために 大天使ミカエルが 地上に 人間として 生まれなければならなかった。それが イエスキリストだと エホバの証人は聖書から 紐解くのです。

❤4 罪と死を人類から取り去るために遣わされた 神の子羊ーイエスキリストについて

かって エホバという聖書の神は イスラエル国民をご自分の契約の民としておられました。イスラエル国民には 預言者モーセを通して(エジプトで奴隷状態にあったイスラエル国民を救出するに当たって 紅海の水を分けて 渡り切り逃げ切ることができた。という逸話のある モーセです。)十戒という 十の守るべき重要な教えと 生活の多岐に及ぶ律法が与えられました。その中には、イスラエル国民が 神に捧げる贖罪の犠牲として 子羊が規定されていました。イエスキリストのことを 人類の罪を取り去る神の子羊と 聖書で表現されているのは アダムの犯した罪を イエスが取り去ってくださるからでしょう。因みに キリストとは メシア、救い主という意味です。

エホバの証人は この アダムとイエスの命を 等価として “贖罪”と 学ばされます。エホバの証人と 他のキリスト教の圧倒的な違いの一つは、イエスが 神では無くて 神の子であるということでしょう。ここは、難しいので興味のある方は 家に来たエホバの証人に質問する(とても喜ばれると思います。一見 親切で穏やかで優しい口調で話す人ばかりなので、気が付いたら毎週聖書を開いていたなんてことにならないようにご注意下さいね。)か、JWのサイトをお調べください。

❤5 1914年から始まる この世の終わりー★8ー と ハルマゲドンについて

イスラエル国民と神の契約は 西暦1世紀に 神の子 イエスキリストを 杭に付けることに イスラエル国民が加担したことによって 終わりました。それからの長い期間

神様は、地上で人間たちが 悪魔サタン(エデンの園で アダムとエバを唆し反逆させた元 天使が 悪魔サタンとなった。のちに 多くの天使がサタンの側に組する 悪霊と呼ばれる存在となる。)と配下の悪霊の影響を受けながら、生活していくことを許されていたが ご自分は関与されませんでした。人間は 様々な政治形態を試したが どの支配も 人間に完全な幸福をもたらすことは無かったので人類の苦しみは無くなりませんでした。人間の支配者の限界については、エホバの証人とする聖書研究の時に度々協調されます。人間は 間違うこと、政治家はどんな良い動機で政治活動を行おうとしても 他の人との繋がりやしがらみで不公平が生じること、そして人間は齢を取るので気力体力が減退してしまうことを理由に 人間の政治は期待できないと教えられるのです。(エホバの証人が選挙に参加しないー★9ーのは また別の理由ですが。)

そして、神様ー“ここでは エホバーJHWHーというお名前を持つ 万物の創造主 聖書を人間に霊感で書かせた神様”と人類との関係という視点から、 人類史を三つの期間に分けることができます。

1 エホバ神が 人間と関りを持っていた時代。ー神の支配を受ける時代ー

 アダムとエバを造ってエデンの園に住まわせた。二人に反逆された後も、地上で篤信  の人アブラハムを見出すと その子孫から イスラエル国民を作り出す。その後 エジプトで奴隷状態にあった民を預言者モーセを用いて救出し ご自分の契約の民とする。

神は 大祭司と祭司団を用いて成文律法を守らせることにより 民を保護された。

神の支配を受ける国民が この地上に一部存在する時代は、エルサレムが陥落し ダビデ王朝の最後の王 ゼデキアが殺され幕を閉じた。西暦前607年の事である。

2 異邦人の時と呼ばれる 神が人間に自らを治めることを許された時代

本来 人間を支配する王は エホバ神だけなので、人間の王がその立場に就くというのは 不自然極まりないことです。聖書では 神の支配が諸国民に踏みにじられると 述べられている(そうエホバの証人は説明します。)

それは 西暦前607年から 2520年の時を経て 1914年まで続きました。★10

エゼキエル書21:26,27 『ターバンを取り除き、冠を取り外せ。…それは、法的権利を持つ者が来るまで、決して誰のものにもならない。私はその者にこれを必ず与える。』

 

3 1914年 ーこの事物の体制の終結の期間の始まりー法的権利を持つ者の臨在

先に引用したエゼキエル書の 法的権利を持つ者は イエスキリストの事です。イスラエルの王の中でも エホバ神に際立った信仰を示し受け入れられた王ダビデの家系から

その王は産まれると約束されていました。(それで、イエスキリストが産まれたと聞いた当時ユダヤ地区を支配していたヘロデは、その預言の成就を恐れて ベツレヘム地区に住んでいたユダヤ人の2歳以下の男子を全て殺害させた。)

エスは 先にも述べた通り 最初は天で神に仕える天使 ミカエルでした。(聖書の中には 天使の名前が 二つしか書かれていません。ミカエルとガブリエルです。しかしこれは 二人しか天使がいないからではなく、人間が必要以上に天使を崇めないためだそうです。)イエスは 聖書の予言通り 一世紀に地上にダビデの王統を正式に継ぐ王として ヨセフとマリアの子どもとして産まれ、もし神の支配が全地に及ぶなら こうなるであろう時代を 見せられました。嵐を鎮めることにより 自然界を治める力があることを示し、漁師が一晩かかって魚が一匹も採れなかった船と網で 大量の魚を採り 大群衆に食物をふんだんに与える奇跡をおこすことによって、食糧危機の不安が無いことを示されたのです。また、病気の人を癒し 盲人の目を開き 死者をも生き返らせることにより、神の支配のもとでは 何も恐れることがないことを 体現されたのです。

しかし、このイエスの支配をも 当時のイスラエル国民は退けたばかりか イエスを犯罪者と共に 杭に付けることを要求しました。(そのことによって モーセと神がされた契約は 古い契約として 完全に終わる。)

この イエスが地上に来られた時代も 異邦人の時と呼ばれる 神の支配がこの地上に関与されない期間に起こった出来事です。

地上にイエスが来られた目的は アダムとエバが失った完全な命の贖いとしてご自分の命を差し出す事ーつまり 人間として死ぬために来られたので、杭の上での死は 聖書の各所で預言されています。(エホバの証人と 聖書を研究すると この出来事から人類への神の愛の深さを強調されます。そして、神へ 感謝するなら 愛の動機から 命を神のご意思を行うために差し出すことを 勧められるのです)

エスは 聖書預言をご自分が死ぬことで 成就された後、天で霊者ー天使として復活し 1914年を待つことになります。

そして、異邦人の時が終わった1914年に 天で神の王国が建てられて イエスは その王国の王の座に就かれます。

そう、今は 神が一部ではあるが 人間との関りを再度持ち始められ もう100年以上が経過した時なのです。

そして、エホバの証人は この事物の体制の終結の期間は “そう長くはない” と 説いてきました。人間が神の支配を受けず 人間を支配し 苦しみを増し加えてきたこの悪い時代は もう まもなく 神の戦争ーハルマゲドンーを持って終わるので、その前にエホバの側にしっかりつくことを 布教してきたのです。

私も 家族も いい人にはなりたいし、神の支配を受けて 生活の不安がなくなるどころか 病気や死が無くなるのは 本当に嬉しいです。でも、それが今 働かないことにつながることが解りません。しかし、エホバの証人の二世と言われる 若い人達は 必要最低限の仕事(例えば自宅に住み 自分のお小遣い程度のものを稼ぐ、非課税の範囲内で生活する)しかしません。それは自由ですが、学校を卒業した若者が 普通に就職すると なぜか 批判されるのです。信仰が薄いと…。そして よってたかって 若い人だけでは無く 年配の長老迄もが、非常にわかりやすい いじめーまあ さすがに 暴力はありませんが、言葉によって チクチク嫌味をいって 会衆での場所を無くすのです。反対に 親がかりで 働かない若者が 平日奉仕に出ると 神に喜ばれる生き方をしていると 高められ 会衆での役割に用いられるので、より 真面目に働き税金を納め休日を使って奉仕する若者は、居場所が無くなります。(親が会衆の役割から外されたりするので うちの子どもは 自分より その方が堪えたようです。) 

エホバの証人の日本での信者数がこの20年増加していないのは、若い人が この風潮についていけず 離れているのではないか と 私は 経験から 感じています。

大抵の家庭は 子どもだけが 離れていきます。私は 親である信者の皆さんにも言いたい。あなたは、子どもが真面目に働き真面目に自分の時間の中で信仰の活動をしようとしているのに、それを 人に多い少ないと量らせて 元気を無くさせ、結果 離れてしまう。それを 当然と受け入れていいのですか。この組織が唯一 神の組織だから おかしいことを おかしいと言ってはいけないんだ、自分の見方が悪いんだ、そう言い聞かせて、自分だけ助かろうとしていいのですか。

おかしいと思いませんか?と。