【1914年から1世代でハルマゲドンが来る?ーそれはいつ?】

【1914年から1世代でハルマゲドンが来る?ーそれはいつ?】

前回、巡回監督の妻ー円熟したクリスチャンのはずーが なぜか、不思議な人が多いことを書いたのですが、(私から見て不思議なだけで、これを書いている私も 充分“不思議ちゃん”です。そりゃ、神様が “この悪い時代を戦争で滅ぼして神様の側についている人たちだけの世界にする”“その神様の戦争-ハルマゲドンーを神様の側について生き残った人たちは、この地球上で永遠に生きる”という ぶっ飛んだ教えを 信じれた人ですから、私も その私が変わった人と感じるエホバの証人の姉妹たちも 変な人でしょう。)その、やはり巡回監督の姉妹の一人で、巡回監督が定年間近の姉妹がいました。巡回監督にも定年があって、当時は 70歳?だったかな、ある一定の年齢になると巡回監督を退いて 自分で定めた場所でクリスチャン人生を全うされることになります。まれに際立って有能で良い働きをされたと、海老名にある日本支部に認められたご夫婦は

関東にある宣教者たちが老後を過ごしているホームのような所に招かれて、老後を過ごされることもあるようだ、と聞いたことがありますが、そんなに大人数を引き取れる場所では無いようです。)

その姉妹が、ずっと言われていたのが、「私たちもうすぐ定年なの、どうするのかしら、兄弟に働けって言えないでしょう。もう働けないわよ…。」

そもそも、巡回監督に選ばれるクリスチャンは、

①若くして聖書を学んで “開拓奉仕”という聖書のボランティアを一定時間した結果、巡回監督として任命された。(開拓者は、自分の生活にかかる費用を自分で稼ぐが、巡回監督は 生活にかかる費用は ほぼほぼ与えられる。) ②日本全国どこにでも 日本支部の要請に従って 3年おきに移動する。

こうした生活をずっとしてきたので、親から受け継ぐ財産が無い限り 金銭的には豊かでは無いと想像できます。年金をかけているのかどうか 巡回監督ご夫婦に老後の心配をする エホバの証人の兄弟姉妹は先ずいないので、聞いたことはありませんが、もし年金をかけていても 国民年金ですから生活費としては、足りないでしょう。

それで、先の巡回監督の姉妹の、

「私たちもうすぐ定年なの、どうするのかしら、兄弟に働けって言えないでしょう。もう働けないわよ…。」の言葉も 今の私なら、うんうんうなずいて、もっと共感できたと思います。が、当時の私はまだ この組織の教えの怖さが見えていなかったので、姉妹の不安が 冗談にしか受け取れなかったのです。

だって、集会では “神のご意思を行う者は、生活の心配をする必要は無い”ので、“世俗の仕事より奉仕を優先させる”ことを教えられているからです。その際には、このイエスキリストが語った聖書の言葉を引き合いに出します。

『ですから、王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば、これらほかのものはみなあなた方に加えられるのです。マタイ6:33 新世界訳』

最近 新しくした翻訳 スタディ版ではこうなっています。

『ですから、王国と神から見て正しいことをいつも第一にしなさい。そうすれば、こうしたほかのもの全ても、あなたたちに与えられます。マタイ6:33 スタディ版』

 

余談ですが、エホバの証人は聖書を改ざんしているという意見もあるようですが、そもそも私はヘブライ語が読めないし、聖書原本を手にすることもできないので、聖書は正しいとざっくり仮定しておきます。ただ、エホバの証人は長い間既存の聖書を使用していましたが、日本では1985年に エホバの証人が翻訳した “新世界訳”を使用してきました。そして 最近 スタディ版をー日本では3年前から使用しています。が、個人の好みですが、私は スタディ版は 少し翻訳が直截すぎて趣にかけるので 好きではありません。ただ、理解しやすい翻訳かもしれません。

 

この マタイ6:33節にある “これら”や“こうした”は、その前からの文脈を見ると、“何を食べるのか”“何を飲むのか”“何を身に着けるのか”といった 生活必需品のことを指していることがわかります。

この箇所は、『山上の垂訓』と呼ばれているイエスが生涯行った講話中 (聖書に記されている物はほんの一部でしょう)最も有名な講話の一節です。

『神を知らない人は、物質上の思い煩いから逃れられないが、野の鳥や 野の百合をごらんなさい。鳥は種をまいたり、刈り取ったりしない。野の百合は 糸を紡いだりしない。しかし、鳥が食べ物に困ることは無い。野のゆりは、栄光栄華を極めたソロモン王以上に装っている、どちらもエホバが養っておられる。それら 動植物ー本能のままに生きているものでさえ 神は忘れられないのだから、神の義の中で生きるあなたのことを神が養わないはずが無いでしょう。』と イエスは 優しさの中にも力強く教えられるのです。

この教えは 当時の生活習慣を知っているなら 余計に励まされる箇所です。この箇所の鳥は、マタイ10:29にでてくる すずめ1羽のことだそうです。

当時、すずめは貧しい人の食物として 市場で 食用肉としては 最も安い価格で売られていました。そして 2羽買うと 1羽おまけが付いてきました。すずめは2羽セットで販売されて1羽ならおまけとしての価値しか無い、そんなすずめでさえ神は忘れておられないという例えなのです。

また、百合は 白いイメージがあって 白は白で美しいのですが、当時イスラエルで咲き誇っていた野の百合は、色とりどりの色彩豊かな百合だったそうです。

当時、ローマの圧政下にあって 重税が課されていてイスラエル人にとって、生活の不安を取り除いてくれるこのイエスの言葉は、本当に励みになり慰められたことでしょう。そして、聖書はイエスが続いてこう語ったと記しています。

『それで、次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日には次の日の思い煩いがあるのです。一日の悪いことはその日だけで充分です。マタイ6:34 新世界訳』

『それで、次の日のことを決して心配してはなりません。次の日は次の日で心配することがあります。その日の問題は、その日だけで十分です。マタイ6:34 スタディ版』

この“王国第一”精神は 清い潔い教えだけれど、私たちクリスチャン凡人組にはどこまで何を捨てて“王国第一”を貫くのかは、なかなか難しい課題でした。実際、主人は集会に遅れることがあっても 仕事を辞めることはしませんでしたし、私もパートをして働きました。子どもは学校を卒業すると、正社員として働きながらクリスチャン活動をする予定でした。こうした “生ぬるい”“神と世の二足のわらじを履く”ような選択をする家族にエホバの証人の会衆の居場所は無かったので、会衆から出されて今に至っているのですが…。(そうそう、私たち家族がエホバの証人でなくなったのは、エホバの証人は コロナ下で、ズーム集会をしていたのですが、子どもがまだ学生の時に 子どもだけ集会に参加するなと言われて、その後 子どもを集会から締め出すなら私たち家族も集会に参加しません…というきっかけでした。あっ、エホバの証人の二世でたまにやる気のない子がいますが、うちの子どもは外面がいいのと、まだ信仰があったのでしごく真面目にしていました。ただ、主人には仕事、子どもには学校を辞めろと言われていたので、やっぱり うちの家族は 主人の仕事、私のパート、奉仕もきちんとしながらのパートですけど、子どもの学校の選択と将来するであろう仕事の選択で、ある長老に嫌われたのが出されることになったのだ と 思います。まあ これは また 後日。)

 

でも、でも、巡回監督の妻が なぜ?将来の不安を語るのか?それは 本当に 当時 本当に 疑問でした。だって、全てと言っても過言ではないくらい捨ててきた生活です。家を持つこと、子どもを持つこと、たまには旅行に行くことや映画を見たりショッピングしてお茶したりという普通の生活を全て捨ててきているのです。テレビのニュースはもちろんドラマを見ることも無い、先ず 自宅にテレビは無いだろうし、毎週火曜から日曜は各会衆の信者の家に間借りしてご飯も三食出されたものを食べる。趣味で

釣りをすることや、ドライブすること、本を読むこと、手芸をすること、料理をすることも無い。これ ストレスの溜まる生活ですよ。それを唯一の神の組織だと断言する エホバの証人 ものみの塔聖書冊子協会が しなさいという通りにしてきたのだから、神様が巡回監督の時期は養っても 定年後は知らないよっていうはず無いと思っていたので、私は本当にこの姉妹 申し訳ないけど、信仰足りないな と 思ってました。

でも、それでも、もうまもなく ハルマゲドンは 来る。きっと来る。そう思ってたから。大丈夫。大丈夫。と 思ってたんです。

姉妹は 当時の私以上に 聖書付けの生活だったからこそ、不安だったんですよね。あれ、ハルマゲドンまだやん…。1914年から1世代のはずやん。なんで 世代の見解変わるの?えっ、これ 50年くらい延びるやんって。私ら 老後来るやんって。

不安に駆られた 巡回監督の姉妹は 今 どうされているのかな。

でも、きっと エホバの証人の世界は 有名だった人には優しいので、“元巡回監督ご夫婦”という肩書があれば、何かと貢物があって困らないんじゃないかなあ。と思います。お元気にされているといいなあ。

 

ハルマゲドンの時期を 1世代と預言しながら、世代の見解を変えるのはまずいんじゃないかな と 今は言えます。当時は、怖くて言えませんでした。