【1914年から1世代でハルマゲドンが来る?ーそれはいつ?】

【1914年から1世代でハルマゲドンが来る?ーそれはいつ?】

前回、巡回監督の妻ー円熟したクリスチャンのはずーが なぜか、不思議な人が多いことを書いたのですが、(私から見て不思議なだけで、これを書いている私も 充分“不思議ちゃん”です。そりゃ、神様が “この悪い時代を戦争で滅ぼして神様の側についている人たちだけの世界にする”“その神様の戦争-ハルマゲドンーを神様の側について生き残った人たちは、この地球上で永遠に生きる”という ぶっ飛んだ教えを 信じれた人ですから、私も その私が変わった人と感じるエホバの証人の姉妹たちも 変な人でしょう。)その、やはり巡回監督の姉妹の一人で、巡回監督が定年間近の姉妹がいました。巡回監督にも定年があって、当時は 70歳?だったかな、ある一定の年齢になると巡回監督を退いて 自分で定めた場所でクリスチャン人生を全うされることになります。まれに際立って有能で良い働きをされたと、海老名にある日本支部に認められたご夫婦は

関東にある宣教者たちが老後を過ごしているホームのような所に招かれて、老後を過ごされることもあるようだ、と聞いたことがありますが、そんなに大人数を引き取れる場所では無いようです。)

その姉妹が、ずっと言われていたのが、「私たちもうすぐ定年なの、どうするのかしら、兄弟に働けって言えないでしょう。もう働けないわよ…。」

そもそも、巡回監督に選ばれるクリスチャンは、

①若くして聖書を学んで “開拓奉仕”という聖書のボランティアを一定時間した結果、巡回監督として任命された。(開拓者は、自分の生活にかかる費用を自分で稼ぐが、巡回監督は 生活にかかる費用は ほぼほぼ与えられる。) ②日本全国どこにでも 日本支部の要請に従って 3年おきに移動する。

こうした生活をずっとしてきたので、親から受け継ぐ財産が無い限り 金銭的には豊かでは無いと想像できます。年金をかけているのかどうか 巡回監督ご夫婦に老後の心配をする エホバの証人の兄弟姉妹は先ずいないので、聞いたことはありませんが、もし年金をかけていても 国民年金ですから生活費としては、足りないでしょう。

それで、先の巡回監督の姉妹の、

「私たちもうすぐ定年なの、どうするのかしら、兄弟に働けって言えないでしょう。もう働けないわよ…。」の言葉も 今の私なら、うんうんうなずいて、もっと共感できたと思います。が、当時の私はまだ この組織の教えの怖さが見えていなかったので、姉妹の不安が 冗談にしか受け取れなかったのです。

だって、集会では “神のご意思を行う者は、生活の心配をする必要は無い”ので、“世俗の仕事より奉仕を優先させる”ことを教えられているからです。その際には、このイエスキリストが語った聖書の言葉を引き合いに出します。

『ですから、王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば、これらほかのものはみなあなた方に加えられるのです。マタイ6:33 新世界訳』

最近 新しくした翻訳 スタディ版ではこうなっています。

『ですから、王国と神から見て正しいことをいつも第一にしなさい。そうすれば、こうしたほかのもの全ても、あなたたちに与えられます。マタイ6:33 スタディ版』

 

余談ですが、エホバの証人は聖書を改ざんしているという意見もあるようですが、そもそも私はヘブライ語が読めないし、聖書原本を手にすることもできないので、聖書は正しいとざっくり仮定しておきます。ただ、エホバの証人は長い間既存の聖書を使用していましたが、日本では1985年に エホバの証人が翻訳した “新世界訳”を使用してきました。そして 最近 スタディ版をー日本では3年前から使用しています。が、個人の好みですが、私は スタディ版は 少し翻訳が直截すぎて趣にかけるので 好きではありません。ただ、理解しやすい翻訳かもしれません。

 

この マタイ6:33節にある “これら”や“こうした”は、その前からの文脈を見ると、“何を食べるのか”“何を飲むのか”“何を身に着けるのか”といった 生活必需品のことを指していることがわかります。

この箇所は、『山上の垂訓』と呼ばれているイエスが生涯行った講話中 (聖書に記されている物はほんの一部でしょう)最も有名な講話の一節です。

『神を知らない人は、物質上の思い煩いから逃れられないが、野の鳥や 野の百合をごらんなさい。鳥は種をまいたり、刈り取ったりしない。野の百合は 糸を紡いだりしない。しかし、鳥が食べ物に困ることは無い。野のゆりは、栄光栄華を極めたソロモン王以上に装っている、どちらもエホバが養っておられる。それら 動植物ー本能のままに生きているものでさえ 神は忘れられないのだから、神の義の中で生きるあなたのことを神が養わないはずが無いでしょう。』と イエスは 優しさの中にも力強く教えられるのです。

この教えは 当時の生活習慣を知っているなら 余計に励まされる箇所です。この箇所の鳥は、マタイ10:29にでてくる すずめ1羽のことだそうです。

当時、すずめは貧しい人の食物として 市場で 食用肉としては 最も安い価格で売られていました。そして 2羽買うと 1羽おまけが付いてきました。すずめは2羽セットで販売されて1羽ならおまけとしての価値しか無い、そんなすずめでさえ神は忘れておられないという例えなのです。

また、百合は 白いイメージがあって 白は白で美しいのですが、当時イスラエルで咲き誇っていた野の百合は、色とりどりの色彩豊かな百合だったそうです。

当時、ローマの圧政下にあって 重税が課されていてイスラエル人にとって、生活の不安を取り除いてくれるこのイエスの言葉は、本当に励みになり慰められたことでしょう。そして、聖書はイエスが続いてこう語ったと記しています。

『それで、次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日には次の日の思い煩いがあるのです。一日の悪いことはその日だけで充分です。マタイ6:34 新世界訳』

『それで、次の日のことを決して心配してはなりません。次の日は次の日で心配することがあります。その日の問題は、その日だけで十分です。マタイ6:34 スタディ版』

この“王国第一”精神は 清い潔い教えだけれど、私たちクリスチャン凡人組にはどこまで何を捨てて“王国第一”を貫くのかは、なかなか難しい課題でした。実際、主人は集会に遅れることがあっても 仕事を辞めることはしませんでしたし、私もパートをして働きました。子どもは学校を卒業すると、正社員として働きながらクリスチャン活動をする予定でした。こうした “生ぬるい”“神と世の二足のわらじを履く”ような選択をする家族にエホバの証人の会衆の居場所は無かったので、会衆から出されて今に至っているのですが…。(そうそう、私たち家族がエホバの証人でなくなったのは、エホバの証人は コロナ下で、ズーム集会をしていたのですが、子どもがまだ学生の時に 子どもだけ集会に参加するなと言われて、その後 子どもを集会から締め出すなら私たち家族も集会に参加しません…というきっかけでした。あっ、エホバの証人の二世でたまにやる気のない子がいますが、うちの子どもは外面がいいのと、まだ信仰があったのでしごく真面目にしていました。ただ、主人には仕事、子どもには学校を辞めろと言われていたので、やっぱり うちの家族は 主人の仕事、私のパート、奉仕もきちんとしながらのパートですけど、子どもの学校の選択と将来するであろう仕事の選択で、ある長老に嫌われたのが出されることになったのだ と 思います。まあ これは また 後日。)

 

でも、でも、巡回監督の妻が なぜ?将来の不安を語るのか?それは 本当に 当時 本当に 疑問でした。だって、全てと言っても過言ではないくらい捨ててきた生活です。家を持つこと、子どもを持つこと、たまには旅行に行くことや映画を見たりショッピングしてお茶したりという普通の生活を全て捨ててきているのです。テレビのニュースはもちろんドラマを見ることも無い、先ず 自宅にテレビは無いだろうし、毎週火曜から日曜は各会衆の信者の家に間借りしてご飯も三食出されたものを食べる。趣味で

釣りをすることや、ドライブすること、本を読むこと、手芸をすること、料理をすることも無い。これ ストレスの溜まる生活ですよ。それを唯一の神の組織だと断言する エホバの証人 ものみの塔聖書冊子協会が しなさいという通りにしてきたのだから、神様が巡回監督の時期は養っても 定年後は知らないよっていうはず無いと思っていたので、私は本当にこの姉妹 申し訳ないけど、信仰足りないな と 思ってました。

でも、それでも、もうまもなく ハルマゲドンは 来る。きっと来る。そう思ってたから。大丈夫。大丈夫。と 思ってたんです。

姉妹は 当時の私以上に 聖書付けの生活だったからこそ、不安だったんですよね。あれ、ハルマゲドンまだやん…。1914年から1世代のはずやん。なんで 世代の見解変わるの?えっ、これ 50年くらい延びるやんって。私ら 老後来るやんって。

不安に駆られた 巡回監督の姉妹は 今 どうされているのかな。

でも、きっと エホバの証人の世界は 有名だった人には優しいので、“元巡回監督ご夫婦”という肩書があれば、何かと貢物があって困らないんじゃないかなあ。と思います。お元気にされているといいなあ。

 

ハルマゲドンの時期を 1世代と預言しながら、世代の見解を変えるのはまずいんじゃないかな と 今は言えます。当時は、怖くて言えませんでした。

エホバの証人の闇ー謎の巡回訪問という制度

エホバの証人の闇ー謎の巡回訪問という制度】

エホバの証人は、信者を住所でグループ分けしており、先ず、一番小さい単位として“会衆”ー信者の数が大体100人前後になるように近隣の町でまとめます。

会衆が幾つか集まって、“巡回区”、巡回区が幾つか集まって、“地域”になります。

それぞれの会衆が集会をする場所を、以前は借りていましたが、現在は土地建物を購入していることが日本では多いようです。エホバの証人は、集会場所を「王国会館」と呼び、近隣の会衆が幾つか集まり、一つの会館を維持しています。20~30年ほど前までは、自分たちが使用する王国会館は、自分たちで資金を用意して許可をもらう形式でしたが、今では寄付は、必要経費以外は本部に集められるようなシステムに変わったので、メンテナンス等も全て、本部に申請してしてもらう形式になっています。(王国会館の建設やメンテナンス等も、信者の中でボランティアを募ります。何をするのにも、経費の上位に来る項目として、“人件費”が上げられると思いますが、その“人件費”を思い切り省けるという、エホバの証人独特のやり方です。)

エホバの証人の崇拝の形が、①集会で聖書を学ぶこと②聖書の言葉を伝えにいくこと

の 二本柱なので、絶えず 勉強しないとついていけません。それでも、週に二回の集会と、決められた時間に状況に応じてそれぞれが参加する奉仕活動を、繰り返していると気持ちがだれてマンネリ化します。それを防ぐために、エホバの証人の教育プログラムは本当によく考えられており、年に三回の大会と、半年に一度の“巡回訪問”がもうけられています。大会については、また 別の機会に書くとして、今日は“巡回訪問”について、書きたいと思います。

日本で、全くの知らない人を 一週間泊めてくださいと言われたら、驚きますよね。

(未曾有のウィルスが流行する現在、エホバの証人も集会はインターネット回線を使って行っています。巡回訪問も、同様に巡回監督は自宅からインターネット回線を通して励ますので、今は宿泊のために自宅を提供することはありません。)

エホバの証人の会衆は、半年に一度、火曜日から日曜日の午後まで巡回監督の訪問を受けます。(各会衆を一週間ずつ訪問して半年で回り終えるくらいの会衆の数が一つの巡回区の会衆の数ということです。一か月4会衆×6カ月=24会衆ですね。)

巡回監督とその妻 ご夫婦の訪問を受けるに当たって、会衆は前もって予定表を王国会館の掲示板に貼りだします。その用紙には、宿舎提供、朝食提供、昼食提供、夕食提供、集会場所提供、車で王国会館や奉仕の場所への送迎など、記入できるようになっており、複数の申し込み者がある場合は、長老が調整して決定したものを巡回監督に送ります。

巡回監督ご夫婦は、日曜の夜に自宅に帰り月曜は自宅で過ごし、火曜の朝自宅から訪問する会衆に向かうという、生活を繰り返す訳ですね。(巡回監督ご夫婦は、エホバの証人の組織から月に一人5万円くらいの金額を貰っており、自宅の家賃や水道光熱費はその中から支払っていると聞いたことがあります。)

私たち家族も、何回か宿舎提供をさせていただきました。

エホバの証人は、仲間を同労者と考えると教えられます。長老も、例え小学生の子どもでも、バプテスマを受ければ “兄弟” “姉妹” 本当は、敬意は払いますが、その敬意の量は誰に対しても同じはずなのです。が、巡回監督が来ると、宿舎や食事提供は“特権”と言われます。一週間を、最大のもてなしで気持ちよく過ごしていただけるように

宿舎の家族は 本当に我慢して過ごすのです。“特権”という意味合いの中には、巡回監督にするというより、神様への捧げものとしての“特別な奉仕”だからということが含まれると思いますが、この人たち 勘違いしてないかなと思うことは、もてなしの内容を聞いていて、何回も思いました。

“ありがとう”と言わない…。気持ちより 物の豪華さで判断する。帰る時は 根こそぎ持って帰る。ちょっと、意味わからない人達が多かったです。

日本全国で 3年に一度 巡回監督は配置換えになるので、何人かの巡回監督ご夫婦と

お会いしました。その中のいくつかのエピソードをご紹介します。

① 健康オタクの巡回監督の妻

毎日、ナッツ類5~6種類くらいのナッツを 食べるので種類を揃えて欲しいが、塩分の無いもので。ナッツをよく買う方には分かって頂けるでしょうが、販売しているナッツはたいてい塩味ついています。塩分のついていないナッツを数種類揃えるって、どこで買うの…。(買い物に付き合いました。車で4か所回りました近くのスーパーでは揃いませんでした。)

豆乳。国産大豆の豆乳。もちろん 遺伝子組み換え無しの物。あるけど、高いです。

トマトジュース。メーカーの指定がありました。一日一人一本飲むそうです。高いです。

このこだわりは 巡回監督の夫を妻は尊敬しており、夫に健康でいてほしいので、妻が気遣って要望を出しているそうです。(会衆に用意してほしい家具や食事の要望を前もって言えるそうです。)

② こたつが無いと昼寝ができない巡回監督の妻

宿舎に家を提供するのに、提供する側は 大掃除しますし、布団も新調したり、毛布やシーツも新しくします。我が家も、一応二間続いている広い方の寝室を提供したのですが、冬なので暖房は エアコン以外に 電気ストーブとホットカーペット二枚を 準備しました。寝室はセミダブルのベッドが一つ置いてあり、布団も毛布も新調しました。

が、部屋を見るなり、「私はこたつがないと 昼寝ができないの。」と言われました。

当時の我が家は、リビングも洋間でこたつは使わない生活だったので、もし必要なら前もって会衆に要望を伝えておいて欲しかったです。そのあと 近くの姉妹がこたつを慌てて持ってきてくれて 無事 何とか収まりました。でも、こたつを持ってきた姉妹には、「ありがとう。」と言われていましたが、大半準備した我が家には 全く 感謝の言葉は その日にはありませんでした。(帰る時には 大抵のご夫婦が お手紙を下さいます。ありがとうと書いてあります。)

③ 毎日 お風呂に 二人で1時間以上入る夫婦

普段の日は 構わないのですが。集会が 金曜日の夜に行われていて、帰ると10時近くになります。そこから、兄弟が30分、姉妹が45分入浴されると、私たち家族は日付が変わってお風呂に入ることになりました。健康法だと言われていましたが、集会で遅くなった日くらい、手早く入浴してほしかったと思います。

 

その他、手作りジャムが食べたいと言われたので、作ってみたら 味が気に入らなかったのか 全く 手を付けようともしなかった。(一口くらい食べて、作ってくれてありがとうくらい 言いませんか…。私は食べました。美味しかったです。多分、ネットでお取り寄せしたら良かったんでしょうか。まだ、携帯がスマホじゃなくて、パソコンで注文していた時代だったので。)

 

帰る日に それまでに届いていた食材やコーヒーなど、宿舎をしている我が家に気遣って届けられた物もあるのですが、それらだけでなく、我が家の買い置きも含めて、冷蔵庫の中まで開けて、これも欲しいあれも欲しいと 里帰りの娘のごとく、お持ち帰りされた姉妹。

 

巡回監督の姉妹と何人かの姉妹たちとで奉仕で集まっていたら、その場で延々と 今宿泊している部屋についての不満を 延々と30分以上語った姉妹。あなたは、来週次の会衆に行くけれど、その部屋を提供してくれた姉妹と私たちは これからもずっと 一緒に集会や奉仕を するんですよ。不満は、夫に言って欲しいな。と思いました。

 

巡回監督との接点が 少ないので、巡回監督の妻 姉妹の話ばかりになってしまいましたが、一応 その姉妹も私も クリスチャンなので、聖書から “今あるもので満足しなさい。感謝しなさい。”と教えられているんです。教えられていることと 実践されていることが 余りにもかけ離れていて、なおそれが 信仰の点で 円熟されていると判断されている人が行っていると、ちょっと う~ん、それはどうなんだろうと 考えてしまいます。

余りにも もてなししすぎて もてなされることに 麻痺してしまったのかな。

 

 

 兄弟・姉妹と呼び合う宗教組織に所属していた頃

【 兄弟・姉妹と呼び合う宗教組織 】

キリスト教系の 多宗派で バプテスマー洗礼を受けるまでお話を聞いたことがないので、他の宗教組織のお互いの呼称については よく知らないのですが、エホバの証人

名字の後に 男性なら“兄弟”・女性なら“姉妹”と呼称をつけて呼び合います。

男性の 田中さんなら 「田中兄弟」、女性なら「田中姉妹」、田中家の子どもで 光輝君なら「光輝兄弟」、恵ちゃんなら「恵姉妹」という感じです。(ただし 伝道者というバプテスマを受ける前の段階にまで信仰の面で成長していることが、この 呼称をつけていい条件ですが。)

そして エホバの証人のこの呼び方の“すごい”所は、会衆の活動の場ではもちろんですが、家庭の中で家族だけの場合でも 兄弟・姉妹をつけて呼び合うことが望ましいとされていることです。若い人同士で ニックネームをつけて呼び合うのが少し流行った頃に、集会のプログラムで 「兄弟・姉妹に勝るニックネームは無いので、ニックネームより兄弟・姉妹を使いましょう。」という内容の注意がなされたこともあります。

組織の役割として 世界本部や各国の支部には長老と呼ばれる信仰を代表する人達だったり、各会衆を見回り支部に状況を報告する巡回監督だったりが いらっしゃいますが、その方たちにも呼び掛ける時は、「~~兄弟」と言います。「~~監督」・「~~長老」とは呼びません。これは、人類がアダムとエバの子どもであることと、すべての人が 肩を並べて神に仕える同労者であることを表すからだと教えられます。

 

自分が熱心に活動している時は エホバの証人の様々なシステムについて 特に違和感や戸惑いは感じていなかったのですが、少し距離を置いてみると、正直うまく心理操作されているなと思います。

決して 同労者ではありません。各会衆の中では、長老の意見は絶対ですし 異論を唱える信者がいたとしても 年長者の意見が大抵通ります。年長者とは、実際の年齢の意味も含みますが、長老に任命されてからの年数で判断されます。また、エホバの証人の世界でも 親の七光りは通用します。親が長老で会衆の代表者(調整者と呼びます。昔は主催監督と呼ばれていました。)をしている、母親は開拓者(奉仕活動をたくさんしている人に与えられる特権の呼び名です。)をしていると、その子どもは 早くに 会衆での様々な特権を与えられますし、信用もされます。信仰だけで判断される(信仰は目には見えないので 信仰で判断して様々な特権を任命していますと言われても それは活動の量や集会での様子で測っていると推測するしかありません。以前はこれを 聖霊で任命していると説明していましたが、明らかに同じ行動をしていても 任命に偏りが見えているので 今は 推薦されたと説明されています。)のではなく、背景が加味されて 会衆内での 地位が形作られます。

エホバの証人が日本で劇的に増加したのが、第二次世界大戦後 国内情勢も経済も落ち着いて 高度経済成長の時期から 1980年代までと 聞いたことがあります。(私の研究を司会してくれた姉妹の感じたことなので 数字で確認はしていませんが。)

その頃は 主婦がまだ 結婚したら家事・育児のために 外での仕事を持たず 家庭にいた時代でした。昼間家にいた奥さんに 奉仕に来たクリスチャンが、「聖書を勉強しませんか。聖書は子育てに役立ちますよ。費用は全く掛かりません。無料です。」と勧めます。もちろん クリスチャンの側も女性ですし、親切そうな普通の主婦が きちんとした服装できれいな言葉で優しく話しかけるので、すっかり安心してしまいます。(もちろん エホバの証人側も取り繕っているわけではありません。中には、奉仕の時だけきちんとしている人もいるかも知れませんが、私自身 敬語を使うことや 他者に礼儀正しく親切で愛を表す生き方は、大好きでしたし 今もーエホバの証人を離れた今でもーこれからもずっと、他者を重んじる生き方を続けたいと思っています。結局何を学んでも 動機が大切で 心からそうなりたいと願わなければ 人はそう簡単に変われないと思います。エホバの証人は よく 神様のご意思なら聖霊ー神様の力ーが与えられて 神様の望まれるように変化できると言いますが、結局は それを強く望むかどうか 自分にかかってくると思います。私は エホバの証人を長く続けていて 会衆内で恵まれた地位、立場を得ている信者さんほど 性格悪いなあと感じることが度々ありました。★11)

 ともかく まだ昼間に妻が家に居ることが多かった時代に、妻がエホバの証人の訪問を受け先に聖書を学びます。そして やがて 集会に行きたいと夫にお願いするようになり、夫はそこで始めて妻が聖書を学んでいること、クリスチャンになりたいと願っている事を知り、慌てます。それは、それは、慌てます。エホバの証人一神教で 仏教を形式的にであれ 信奉しつつ エホバの証人であることは 容認されないからです。たいていのご主人は、エホバの証人の教理の内容を知れば知るほど大反対するのですが、ここで一悶着も二悶着もありながら、

❤ 夫をクリスチャンに導いた女性信者は

 ー夫がその後 長老になるまで信仰の面で成長した場合ー

   女性信者の中で 会衆内ヒエラルキー1位

 ー夫はクリスチャンになったが 長老になるまでは進歩していない場合ー

   女性信者の中で 会衆内ヒエラルキー3位

 ❤ 夫をクリスチャンに導けなかった女性信者は

 ー夫の反対を耐え忍びながら開拓者という奉仕の特権を与えられるまで沢山奉仕した   場合

   女性信者の中で 会衆内ヒエラルキー2位

 ー夫の反対にめげそうになりながらもほそぼそ 続けている、

  子どもはクリスチャンに育てられなかった場合ー

   女性信者の中で 会衆内ヒエラルキー4位

という会衆内での評価を得ます。

そして、その昔 先に家庭に居る妻が 先に聖書を学ぶので、当然 男性の信者数は少なかったのです。今は ネットでも 聖書研究を紹介していますし、コロナ禍以前は 大都市の駅前で聖書のボランティアも行っていたので 男性ー夫から学ぶというパターンも無くは無いです。しかし、以前は本当にどこの会衆においても 男性ー兄弟は少なかったのです。

その頃の事は、“ネクタイをしていたら誰でも長老になれた”と揶揄される時代だったのです。反対に 今は男性信者にそれ程不足していませんから 男性の信者もほどほどいる都会の会衆では なかなか長老や援助奉仕者(長老に次ぐ奉仕の立場の事です。長老と同じくプログラムを扱ったり祈ったりします。)にはなれません。

つまり 昔 男性だったら すぐ 長老の任命が来た。妻から 聖書を渡されしぶしぶ聖書研究に同意したら 来たクリスチャンにともかく 褒められる。何をしても感謝される。そうして 大して苦労もせず 聖書の勉強もせず ただ司会者と妻に押し切られただけ(あっごめんなさい。真理を求めていたのか 妻への愛かもしれませんが…)で クリスチャンになった男性信者がーエホバの証人の制度として、女性信者は演壇から聖書の講話をしたり 祈ってはいけない という決まり事ゆえにー簡単に長老になって 長年長老として 会衆内で 用いられてきたのです。自分の見方が 正しいと勘違いしていくことも あるでしょう。だって 聖書研究を始めた時から ずっと 褒められっぱなしですし、クリスチャンになってからも 事あるごとに「~~兄弟が こう言われました。」とか 「~~兄弟の言われた通りにしましょう。」と 持ち上げられるのですもん。

さて そんな長老兄弟が、自分の目から見て 何となく肌が合わないとか 自分に敬意を払わないとか 感謝が足りないと 感じる クリスチャンの仲間が居たとします。

何も 問題が無い時は いいのですが、何か問題が生じた時に 自分の身内や自分に敬意を払ってくれるクリスチャン家族には 処罰を手控えて 気に入らない家族には厳しい処罰をする というのが、至る所で 見られるのが、現在のエホバの証人の会衆でしょう。

幾つかの例は 後日 上げたいと思いますが、敬意を払うという“敬意”は、 言葉使いや態度では無くて 物を持ってくるかどうかで長老に敬意を払っているか判断されているという点も 私はとても 残念なことだと思っています。 

そして もう一つ エホバの証人が 会衆内で 何か問題を起こしたとされるときは

聖書では 二人か三人の証人が必要と書かれていますし、エホバの証人の組織の本にもそうはっきりと明記されていますが、それは 長老以外の成員が 他の成員を訴える時に 必要な証人の数です。そういう場合でも 長老が 「大丈夫です。」と 一言いえば もう問題にはしてもらえません。

では 長年長老をしてきた兄弟が ある姉妹ーA姉妹と仮定してーその子どもに問題があると長老が感じたらどうでしょうか。ここで必要なのは、A姉妹にその様子を尋ねることだと思うのですが、この長老が A姉妹のことを以前から肌が合わないと感じていた場合、まず 自分からA姉妹に近づくことはありません。もちろん 子どもに近づくこともしません。長老は 会衆の成員の霊的な様子に気遣いを示す牧羊(ー★13)をしなさいって いつも 集会のプログラムで言われているのにね。その長老兄弟は すぐに 長老の集まりで A姉妹の子どもに問題があるので A姉妹から特権をはく奪した方がいいのではないか、と提案します。

長老の集まりを 長老団と呼びますが、ここで一番大切にされるのは 長老団の一致です。誰か一人が意見を述べた場合 その兄弟が 年長であれば有るほど その意見には意義を唱えてはならず、例え意義を唱えたとしても 「いや、でもあの子はこうなのです。」など 重ねて意見を述べられたら 賛同せざるを得ないのです。

かくして その可哀そうなA姉妹とそのお子さんは 何のことかわからないまま、姉妹は特権をはく奪されることになります。

一度も 事実確認されない “幽霊裁判”が エホバの組織では 普通の事です。

その後 訴える手順も残されてはいます。一応 上訴することができるそうです。しかし、この手段を使う信者はほとんどいません。なぜなら、訴えて そのことについて再度本部から相応しい処置だったのか質問が来ても、その質問に答えるのは そのA姉妹を断罪したその“長老”本人ですから。

 会衆ヒエラルキーの上位組は、自分達は “神の祝福を受けて霊的に繁栄している”

ので、“自分の見解は常に正しい”のだ、思っているのです。

聖書に “真理はあなた達を自由にするでしょう。”という言葉があります。聖書の伝導活動に行くと、聖書のこの箇所を見せて、「この自由とは、間違った教えからの自由、間違った伝統からの自由です。」と説明しますが、 エホバの組織に、自由はありません。

 

 

 

 

 兄弟・姉妹と呼び合う宗教組織に所属していた頃

【 兄弟・姉妹と呼び合う宗教組織 】

キリスト教系の 多宗派で バプテスマー洗礼を受けるまでお話を聞いたことがないので、他の宗教組織のお互いの呼称については よく知らないのですが、エホバの証人

名字の後に 男性なら“兄弟”・女性なら“姉妹”と呼称をつけて呼び合います。

男性の 田中さんなら 「田中兄弟」、女性なら「田中姉妹」、田中家の子どもで 光輝君なら「光輝兄弟」、恵ちゃんなら「恵姉妹」という感じです。(ただし 伝道者というバプテスマを受ける前の段階にまで信仰の面で成長していることが、この 呼称をつけていい条件ですが。)

そして エホバの証人のこの呼び方の“すごい”所は、会衆の活動の場ではもちろんですが、家庭の中で家族だけの場合でも 兄弟・姉妹をつけて呼び合うことが望ましいとされていることです。若い人同士で ニックネームをつけて呼び合うのが少し流行った頃に、集会のプログラムで 「兄弟・姉妹に勝るニックネームは無いので、ニックネームより兄弟・姉妹を使いましょう。」という内容の注意がなされたこともあります。

組織の役割として 世界本部や各国の支部には長老と呼ばれる信仰を代表する人達だったり、各会衆を見回り支部に状況を報告する巡回監督だったりが いらっしゃいますが、その方たちにも呼び掛ける時は、「~~兄弟」と言います。「~~監督」・「~~長老」とは呼びません。これは、人類がアダムとエバの子どもであることと、すべての人が 肩を並べて神に仕える同労者であることを表すからだと教えられます。

 

自分が熱心に活動している時は エホバの証人の様々なシステムについて 特に違和感や戸惑いは感じていなかったのですが、少し距離を置いてみると、正直うまく心理操作されているなと思います。

決して 同労者ではありません。各会衆の中では、長老の意見は絶対ですし 異論を唱える

地上の楽園で永遠に生きる-JWが語る ハルマゲドンとこの世の終わり 2

 【地上の楽園で永遠に生きるーJWが語る ハルマゲドンとこの世の終わり 2】

ミトコンドリア・イブという 現生人類の最も近い共通女系祖先がいると言われています。それが、聖書のアダムとエバ、アダムとイブなのか 私には分かりません。が、

エホバの証人と聖書を研究すると、最初の男女を神様が創られた時は 完全だった。しかし、ある天使だった霊者に唆されて 善悪の知識の木の実を食べてしまった結果、不完全な者となった。罪と死を 自分たちだけではなく その子孫ー人類すべてに伝えることになったので、人は人を支配して 欲望のまま 行動するようになった。犯罪、戦争、暴力、病気、老化、そして死…。

今の総ての 悪の元をたどれば、最初の男女がエデンの園で反逆したことに行き着くと

教えられます。『ミトコンドリア・イブ』 『Y染色体・アダム』が かって エデンの園に居たという訳ですね。

そして、その二人が犯した罪の結果 人類史に持ち込まれた悪い状態を回復するために 大天使ミカエルが 地上に 人間として 生まれなければならなかった。それが イエスキリストだと エホバの証人は聖書から 紐解くのです。

❤4 罪と死を人類から取り去るために遣わされた 神の子羊ーイエスキリストについて

かって エホバという聖書の神は イスラエル国民をご自分の契約の民としておられました。イスラエル国民には 預言者モーセを通して(エジプトで奴隷状態にあったイスラエル国民を救出するに当たって 紅海の水を分けて 渡り切り逃げ切ることができた。という逸話のある モーセです。)十戒という 十の守るべき重要な教えと 生活の多岐に及ぶ律法が与えられました。その中には、イスラエル国民が 神に捧げる贖罪の犠牲として 子羊が規定されていました。イエスキリストのことを 人類の罪を取り去る神の子羊と 聖書で表現されているのは アダムの犯した罪を イエスが取り去ってくださるからでしょう。因みに キリストとは メシア、救い主という意味です。

エホバの証人は この アダムとイエスの命を 等価として “贖罪”と 学ばされます。エホバの証人と 他のキリスト教の圧倒的な違いの一つは、イエスが 神では無くて 神の子であるということでしょう。ここは、難しいので興味のある方は 家に来たエホバの証人に質問する(とても喜ばれると思います。一見 親切で穏やかで優しい口調で話す人ばかりなので、気が付いたら毎週聖書を開いていたなんてことにならないようにご注意下さいね。)か、JWのサイトをお調べください。

❤5 1914年から始まる この世の終わりー★8ー と ハルマゲドンについて

イスラエル国民と神の契約は 西暦1世紀に 神の子 イエスキリストを 杭に付けることに イスラエル国民が加担したことによって 終わりました。それからの長い期間

神様は、地上で人間たちが 悪魔サタン(エデンの園で アダムとエバを唆し反逆させた元 天使が 悪魔サタンとなった。のちに 多くの天使がサタンの側に組する 悪霊と呼ばれる存在となる。)と配下の悪霊の影響を受けながら、生活していくことを許されていたが ご自分は関与されませんでした。人間は 様々な政治形態を試したが どの支配も 人間に完全な幸福をもたらすことは無かったので人類の苦しみは無くなりませんでした。人間の支配者の限界については、エホバの証人とする聖書研究の時に度々協調されます。人間は 間違うこと、政治家はどんな良い動機で政治活動を行おうとしても 他の人との繋がりやしがらみで不公平が生じること、そして人間は齢を取るので気力体力が減退してしまうことを理由に 人間の政治は期待できないと教えられるのです。(エホバの証人が選挙に参加しないー★9ーのは また別の理由ですが。)

そして、神様ー“ここでは エホバーJHWHーというお名前を持つ 万物の創造主 聖書を人間に霊感で書かせた神様”と人類との関係という視点から、 人類史を三つの期間に分けることができます。

1 エホバ神が 人間と関りを持っていた時代。ー神の支配を受ける時代ー

 アダムとエバを造ってエデンの園に住まわせた。二人に反逆された後も、地上で篤信  の人アブラハムを見出すと その子孫から イスラエル国民を作り出す。その後 エジプトで奴隷状態にあった民を預言者モーセを用いて救出し ご自分の契約の民とする。

神は 大祭司と祭司団を用いて成文律法を守らせることにより 民を保護された。

神の支配を受ける国民が この地上に一部存在する時代は、エルサレムが陥落し ダビデ王朝の最後の王 ゼデキアが殺され幕を閉じた。西暦前607年の事である。

2 異邦人の時と呼ばれる 神が人間に自らを治めることを許された時代

本来 人間を支配する王は エホバ神だけなので、人間の王がその立場に就くというのは 不自然極まりないことです。聖書では 神の支配が諸国民に踏みにじられると 述べられている(そうエホバの証人は説明します。)

それは 西暦前607年から 2520年の時を経て 1914年まで続きました。★10

エゼキエル書21:26,27 『ターバンを取り除き、冠を取り外せ。…それは、法的権利を持つ者が来るまで、決して誰のものにもならない。私はその者にこれを必ず与える。』

 

3 1914年 ーこの事物の体制の終結の期間の始まりー法的権利を持つ者の臨在

先に引用したエゼキエル書の 法的権利を持つ者は イエスキリストの事です。イスラエルの王の中でも エホバ神に際立った信仰を示し受け入れられた王ダビデの家系から

その王は産まれると約束されていました。(それで、イエスキリストが産まれたと聞いた当時ユダヤ地区を支配していたヘロデは、その預言の成就を恐れて ベツレヘム地区に住んでいたユダヤ人の2歳以下の男子を全て殺害させた。)

エスは 先にも述べた通り 最初は天で神に仕える天使 ミカエルでした。(聖書の中には 天使の名前が 二つしか書かれていません。ミカエルとガブリエルです。しかしこれは 二人しか天使がいないからではなく、人間が必要以上に天使を崇めないためだそうです。)イエスは 聖書の予言通り 一世紀に地上にダビデの王統を正式に継ぐ王として ヨセフとマリアの子どもとして産まれ、もし神の支配が全地に及ぶなら こうなるであろう時代を 見せられました。嵐を鎮めることにより 自然界を治める力があることを示し、漁師が一晩かかって魚が一匹も採れなかった船と網で 大量の魚を採り 大群衆に食物をふんだんに与える奇跡をおこすことによって、食糧危機の不安が無いことを示されたのです。また、病気の人を癒し 盲人の目を開き 死者をも生き返らせることにより、神の支配のもとでは 何も恐れることがないことを 体現されたのです。

しかし、このイエスの支配をも 当時のイスラエル国民は退けたばかりか イエスを犯罪者と共に 杭に付けることを要求しました。(そのことによって モーセと神がされた契約は 古い契約として 完全に終わる。)

この イエスが地上に来られた時代も 異邦人の時と呼ばれる 神の支配がこの地上に関与されない期間に起こった出来事です。

地上にイエスが来られた目的は アダムとエバが失った完全な命の贖いとしてご自分の命を差し出す事ーつまり 人間として死ぬために来られたので、杭の上での死は 聖書の各所で預言されています。(エホバの証人と 聖書を研究すると この出来事から人類への神の愛の深さを強調されます。そして、神へ 感謝するなら 愛の動機から 命を神のご意思を行うために差し出すことを 勧められるのです)

エスは 聖書預言をご自分が死ぬことで 成就された後、天で霊者ー天使として復活し 1914年を待つことになります。

そして、異邦人の時が終わった1914年に 天で神の王国が建てられて イエスは その王国の王の座に就かれます。

そう、今は 神が一部ではあるが 人間との関りを再度持ち始められ もう100年以上が経過した時なのです。

そして、エホバの証人は この事物の体制の終結の期間は “そう長くはない” と 説いてきました。人間が神の支配を受けず 人間を支配し 苦しみを増し加えてきたこの悪い時代は もう まもなく 神の戦争ーハルマゲドンーを持って終わるので、その前にエホバの側にしっかりつくことを 布教してきたのです。

私も 家族も いい人にはなりたいし、神の支配を受けて 生活の不安がなくなるどころか 病気や死が無くなるのは 本当に嬉しいです。でも、それが今 働かないことにつながることが解りません。しかし、エホバの証人の二世と言われる 若い人達は 必要最低限の仕事(例えば自宅に住み 自分のお小遣い程度のものを稼ぐ、非課税の範囲内で生活する)しかしません。それは自由ですが、学校を卒業した若者が 普通に就職すると なぜか 批判されるのです。信仰が薄いと…。そして よってたかって 若い人だけでは無く 年配の長老迄もが、非常にわかりやすい いじめーまあ さすがに 暴力はありませんが、言葉によって チクチク嫌味をいって 会衆での場所を無くすのです。反対に 親がかりで 働かない若者が 平日奉仕に出ると 神に喜ばれる生き方をしていると 高められ 会衆での役割に用いられるので、より 真面目に働き税金を納め休日を使って奉仕する若者は、居場所が無くなります。(親が会衆の役割から外されたりするので うちの子どもは 自分より その方が堪えたようです。) 

エホバの証人の日本での信者数がこの20年増加していないのは、若い人が この風潮についていけず 離れているのではないか と 私は 経験から 感じています。

大抵の家庭は 子どもだけが 離れていきます。私は 親である信者の皆さんにも言いたい。あなたは、子どもが真面目に働き真面目に自分の時間の中で信仰の活動をしようとしているのに、それを 人に多い少ないと量らせて 元気を無くさせ、結果 離れてしまう。それを 当然と受け入れていいのですか。この組織が唯一 神の組織だから おかしいことを おかしいと言ってはいけないんだ、自分の見方が悪いんだ、そう言い聞かせて、自分だけ助かろうとしていいのですか。

おかしいと思いませんか?と。

 

 

地上の楽園で永遠に生きるーJWが語る ハルマゲドンとこの世の終わり

【地上の楽園で永遠に生きる-JWが語る ハルマゲドンとこの世の終わり 1】

JWが 聖書を学ぶー家庭聖書研究と呼んでいます。ーのに 使用する本は、今は

“聖書は実際に何を教えていますか”ですが、私が学んだ頃は “あなたも地上の楽園で永遠に生きられます” という本でした。堅表紙の赤い本で 200ページ以上あったと思います。“教え”の本と比べると 読み応えのある 難しい本で、家庭聖書研究が終わるまでスムーズに進んだとしても 週に一回×二時間×二年くらい 時間がかかりました。

その期間に 学んだ事に 調和した行動(喫煙習慣があるなら禁煙する、同棲しているなら結婚するか 別れるか決断する)が 求められますし、集会に定期的に出席して 聖書教育活動に参加できるようになることも 求められます。

バプテスマを受けて エホバの証人になり、奉仕活動に出て 聖書に書いてある言葉を紹介しようとすると、家の方に 「クリスチャンには 俺は なれへんで。」と言われることを 大抵のJWは経験するのですが、心の中で こう思います。“本読んだり 寄付したりするくらいでは なれないから。おじさん、ほんまに 私 大変やってん。”と。

ハードルが高いほど 跳んでみたくなるのか、ロミオとジュリエット現象なのか解りませんが、ともかく研究生になると 次々 課題があるので ジェットコースターに乗せられているように 突き進むしかなくなるのです。

 そして、行動の求められ方も過剰であるように、その内容も “ぶっとんで”います。

この 地上ー地球上ーから、戦争・犯罪・病気・死さえなくなり 永遠に 老化もせず 丁度良い年齢のまま 生きる。楽しく 仲良く 永遠に 生きる。というのです。

はあ、それを信じたの あなたは…? まさか、それを信じれるあなたは 充分 変な人やん…。と 思いますよね。でも、一つ一つの事に 一応 きちんとした 聖書の言葉と説明があるのです。今の時代の 不公平で 不平等で 弱肉強食 強いものが勝つ

お金が全て 、こんな時代に疲れた人には ぴったりの 希望なのです。

もう少し 詳しく 説明させて下さい。そうすれば、夫も私も ちょっと変かも知れないけれど まあまあ普通の範疇に入ると ご理解頂けると思います。(人間って 皆 ちょっとずつ変わってて ちょっとずつ変ですよね?人間のスタンダードって 誰なんだろう。私が人間代表ですっていう人に なれたら意外と つまらないかもしれない…。)

今日は 脱線ばかり してますね。ごめんなさい。

エホバの証人ー聖書研究者の近代の歴史は 1800年代後半に遡ります。聖書を読んだ チャールズ・ティズ・ラッセルが 聖書の解き明かしの矛盾に気づき 聖書研究会を開くようになります。1879年に 現在の ものみの塔誌の前身、“シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者”を創刊します。1884年に 宗教法人『シオンのものみの塔冊子協会』ー現在の『ものみの塔聖書冊子協会』設立し 会長に就任します。

こうした 歴史も 集会に出席するようになると 少しづつ 学ぶのですが、家庭聖書研究では、最初 “教え”と呼ばれる 聖書の手引書を 配布されます。(私の時は “あなたも地上の楽園で永遠に生きることができます” でした。)そして、聖書が 神様の考えを記した特別な本ー神様からのメッセージ、それも これから起こる ハルマゲドンを生き残るための レスキュー本だと 教えられます。最初は 聖書は貸してくださるのですが、聖書手引書の各章には 聖句がたくさん載せられていて 聖書を開きながら 勉強するので、すぐ 自分の聖書が欲しくなります。その頃 調度タイミング良く 聖書もくださるので、赤鉛筆で 聖句に線を引いたり 手引書の各章にある答えの部分に線を引いたり 勉強は 楽しくできるように 工夫されていると思います。

今の聖書研究の内容は と言っても 私が所属していた 二年ほど前までの 記憶なのですが、

手引書で学ぶ内容は 

 ♥1ー神様について

聖書の神様は YHWHという 名前を持つ 全知全能 唯一の神である。

全ての物 宇宙も地球も人間も 創造された方である。聖書はヘブライ語で書かれていて YHWHを何と発音していたのか ヘブライ語には母音表記が無いので正確な発音は今は解らないが、ヤハウェと呼ぶ国もある。日本では “エホバ”と発音しよう。大切なのは、その方が ご自分の名前を YHWHだと 聖書の中で自己紹介し、そして 人間を自分の子として愛しておられるので、人間の方から神に その名前を呼んで 近づくことである。神様が そう望んでおられる。

 ❤2ー聖書について

神様を 社長に例えるなら 聖書は 秘書に書かせた手紙だ。人間の中から その時代場所に相応しい人を選んで 聖書筆者として用いた。聖書は66冊の本を集めたものです。その中には

宇宙の始まり

アダムとエバについて

エスキリストについて(ミカエルと呼ばれる天使ー後に地上に人間として産まれ人類のために命を差し出した神の子)

神と契約したイスラエル国民の存亡の歴史ー神の契約の民 選ばれた民族が 神に背き 契約の民から流浪の民へ そして契約が解かれるまでの歴史について

神がこの地上の事柄に関与されない 異邦人の時について、そして その異邦人の時が終わり いよいよ この悪い時代が終わり 神の怒りの日 ハルマゲドンが始まることについて

ハルマゲドン後 1000年統治と呼ばれる 復興の期間について、その後 神様が最初に予定していた地上の楽園での幸福な生活について

 等々 記されている。

 ❤3ー神様が作った楽園に なぜ罪と死が入り込んだのか、アダムとエバの反逆について

神様は ご自分と似る者として 肉体を持たないー天使ー(その最初の創造がミカエルだった)ミカエルと他のご自分に仕える多くの天使を 創造された。後 宇宙を創造し 地球を人間の住処として 置いた。宇宙に 水や空気といった人の存在に不可欠な物がふんだんに備えられているのは、偶然ではなく 最初から人の住まいとして地球が設計された住居だからである。そして、その地上の一部を楽園としーエデンの園と呼ばれるーそこで最初の男女アダムとエバを創造された。エデンの園には たくさんの木の実がなっており 人間は 木の実をふんだんに 食することができた。アダムとエバには 動物の世話をしながら 子どもを作って楽園を広げていく やりがいのある仕事も与えられていた。神様は 人間を愛しておられたが 人間の方からも 神様を愛し愛を動機としてそのご意思に従うことを形として示すことが求められた。神様は エデンの園に 一本の善悪の知識の木を置き その木の実を食べないことで 神への愛と従順を表すようにアダムに命令された。アダムはその命令をエバに伝えていた。

しかし、神様に仕える天使の一人が 神様に代わる地上を支配し人間を従える存在になろうと神への反逆を企てた。そのものは エバに近づいて言葉巧みに誘惑し アダムとエバは善悪の知識の木の実を食べた。こうして 完全さを失った最初の男女は、不完全な者となってしまった。罪の結果として 人間は 完全さを失い 悪を行うこと 病気になること そして老化しやがて死を迎える存在となったのである。アダムとエバの不完全さは 歪んだパン型からは 歪んだパンしか焼けないように、子孫にも伝わった。人類は 最初から死ぬものだったのではなく 死が罪の結果として 人類に入り込んだのだ。

❤4 罪と死を人類から取り去るために遣わされた 神の子羊 イエスキリストについて

❤5 1914年から始まる この世の終わりと ハルマゲドンについて

次回 書きます。

 

 

宗教といじめ 【 夫の話 その3 JWが語る この世の終わり 】

【 夫の話 その3  JWが語るこの世の終わり  】

エホバの証人の親に育てられた 子どもを 二世と呼びます。(家に訪問してきたり 友達から信仰を勧められJWになった人は 一世と呼びます。「真理を学んだきっかけは何ですか?ああ、親から~じゃあ あなたは二世ですね。」という感じで 普通の会話によく使う単語です。)二世に求められるのは、神への奉仕に専念することです。

親世代は 先ず生活があって その後に信仰を付け加えたので 仕事や生活の形をそう簡単には変えることができません。それでなくても 聖書を学んで 大抵の人は形式だけでも仏教の信徒から キリスト教に改宗するので 何らかの障害があります。まして エホバの証人の 信者になる基準は かなり厳しいので 断念する人もたくさんいます。

喫煙習慣がある人は 家庭で聖書を学んでいる段階で 聖書基準では 喫煙は認められていないことを諭されます。

エホバの証人になるために 先ず 家庭聖書研究をします。聖書に関心を持った人を“研究生”と呼んで 教えるエホバの証人を “司会者”と呼びます。これは、親子のような関係が望ましいと エホバの証人で教える側の者は 集会で重々教えられていますから、司会者は研究生に親切で優しく 楽しい時間になっているはずです。

聖書の基礎的な教えと 実践方法を 学びますが、司会者は 研究生を 早いうちから集会にも誘うよう勧められていますので、日曜日の聖書公開講演の主題など 伝えて誘います。それまでには 喫煙の是非について 研究生に伝えておかないと 集会場所ー王国会館と呼ぶ やや広めの会場を 使います。ーには 喫煙所がありませんし、ましてやトイレで一服なんてされたら もう 大変なことなので、喫煙は厳しく指導されます。この家庭聖書研究をしている段階で 喫煙だけではなく、同棲していたら結婚するか別れるか 選択するように 助言されます。(同性婚は一切エホバの証人は認めていません。)家庭聖書研究は、エホバの証人が理解している聖書基準に照らし合わせて 日常生活を 神様に仕えるのに相応しいものとしていく期間なのです。

 家庭聖書研究が 順調に進んで 集会にも定期的に参加するようになると 次に 聖書を教える側になるための教える技術を学ぶ 神権宣教学校に入校します。ここで奉仕の実際の場を想定した練習をして 実際に野外に出た後 “伝道者”になります。(全世界のエホバの証人の数は 2020年の報告では 869万5808人 会衆の数 12万0387 伝道している国や地域 240だそうです。この エホバの証人の数に含まれているのが 伝道者の数です。毎月毎月 奉仕にでた時間を 一人一人が報告し正確にカウントされるので エホバの証人の数に 幽霊部員や 赤ちゃん 名前だけの親族はいませんから 凄い数だと思います。)なので、伝道者の段階で ーー兄弟、ーー姉妹(★6)と呼ばれるようになります。

そして、やっと 

洗礼ーエホバの証人は バプテスマと呼んでいますが、大会で バプテスマを受け 晴れて エホバの証人になれるのです。

すごいですよね。この期間 短くて 1年から2年くらいかかると思いますが、集会を欠かさず支持しなければなりません。もちろん 遅刻厳禁です。エホバの証人は 結婚している夫婦の場合 妻の側が先に学ぶことが多いのですが、家庭を持つ女性が 夜 宗教の集まりで 家を留守にする のには抵抗があるご主人が多く、家で聖書を学ぶのは問題なくても 集会に行きだした段階で反対される人が多くいます。私自身、聖書を学ぶ前から 夜 靴を履いて外出することに 抵抗がありました。怖いですよね、夜出歩くのは。ましてや 週中の夜の集会は 集会が終わるのが 9時前です。もう真っ暗ですし子どもは寝る時間です。反対するご主人の気持ちわかります。でも 幼い子どもがいる人も 子連れで参加して 集会の後 長々話し込むので 「この人たち ご主人ほっといて こんな夜遅くに 平気なのかな…。」と 他人事ながら 思ったこと 度々あります。

我が家の場合は 私が集会に行きだす前には 夫も 聖書を学んでいましたから、集会も一緒に行きましたので 集会の出席には 私は問題はなかったのですが、夫は仕事があって 集会の定期的な支持はそう簡単ではありませんでした。幸いうちの場合は 配置換えがあり 残業が少ない部所に移動できたので 転職するにはいたりませんでしたが、男性の場合は、聖書を学んで集会に行きだすと 既婚であれ未婚であれ この集会の指示が ネックになって 転職するか あきらめるか 大きな壁だそうです。

一世の場合 ここまでの生活の変化が “エホバの証人”と呼ばれるためには 求められるので、神の奉仕に専念するために 世俗の仕事を 整理しなさい。必要最低限だけあればいいのです。って 言われたら、これ 先ず 続きませんよね。

二世の子どもは 違います。神社仏閣に行ったこともなければ、占いも読んだことすらありません。(★7)聖書の神様だけが 唯一まことの神様ですと 教えられて大きくなりました。この世の終わりは近い(★8)と 繰り返し繰り返し 集会で教えられているので 新しい世での生活のための 繋ぎとして 今を 最低限の生活で生き抜ければよいと 我慢、節約して成長しました。

結論 エホバの証人の二世の子たちは 働きません。正規雇用は受けません。

 日本でだけ かもしれませんが。正社員になれば、責任が生じて残業も時にはあるかも知れません。そうすると 集会での割り当て(王国会館での機械類の設定や会場での必要に 幼い時から集会に出席している二世の男子は 重宝されています。)に支障がでるかも知れません。そして 集会でそうした役割を果たせなくなるのは 神様より世俗の仕事を優先しているからであり 信仰の欠如を表していると 考えられてしまいます。誰から?会衆の長老たちからです。それは 幼い時から 学校や一般社会での評価ではなく エホバの証人の会衆の中での評価 聖書を読むのが上手だとか 奉仕に熱心だとか 親に従順だ(★9)という評価で 自己肯定感を培ってきている二世には とても辛いことなのです。二世は 長老たちから 認められ 用いられて エホバの会衆での評価を上げることが 人生の目標になっているのです。結果 派遣で 週3~4日働くような 非課税の範囲内の働き方になります。当然 二世同士で結婚している夫婦でも 会社に属していないので厚生年金をかけていないのはもちろんのこと 国民年金も免除制度を活用します。

  老齢基礎年金って 40年納付した場合は 780,900円

   ですが 40年全額免除となった場合  390,450円 貰えるそうです。

えっ 働けるのに 働かなくて 半額貰えるって おかしくないですか。

私は サラリーマンの妻で 第3号被保険者です。第3号 いいよね、なんてつぶやき読んだことあります。でも エホバの証人の二世の 免除は 私は 内情を知るだけに

本当にずるい と 思ってしまいます。 働け、しっかり働いて、税金も納めて、年金もかけて、その上で しっかり 信仰の戦いをして欲しいと 思います。

もちろん 二世に、大学に行くな 会社に所属せず 神様への奉仕を優先させろ。研究生も含めて信者すべてに 集会は生命線なので 絶対休むな。神への奉仕が絶対だ。そうした 生き方を協会が強く勧めるのには それなりの理由があります。

エホバの証人は 1914年から 1世代の間に この事物の体制が 滅ぶと 説いてきました。1914年に生きていた人 第一次世界大戦の勃発の年、その変化を目の当たりにした人が 生きて、この悪い時代に神様が罰を下し 滅ぼすその神の戦争ーハルマゲドンーを実際に見る。その世代の人が生きている間に終わりは必ず来ると 説いて回ったのです。

この世の終わりは近いので 神様の側に立って 救いにあずかりましょう。命がかかっています。命がかかっているなら それは 大変だ、先ずは救いの側に立つことを優先させようと思いますよね。

1914年生きていた人? えっ 今 2021年…。107歳? ハルマゲドン 遅すぎへん? 

協会は 見解を 少し変えています。 

1914年に生きていた人から 直接教えられた人達を この 世代に含む…と。

 次回 ハルマゲドンと この世の終わりについて 書きます。